天海祐希の宝塚時代は、正に演技の実力と美しさレベルもトップならば人気度もまた群を抜いてトップであったことは容易に想像できます。 人気度の高さ故に退団を早めた2つの要素 そんなお披露目の大事な舞台に、天海祐希さんは入団なんと10か月で主役に抜擢されたのです。「夜10時以降は出待ちはやめてください」とはっきりファンに伝えたそうです。歌劇団を退団したのは1995年。その後はテレビドラマ、映画など女優として幅広く活躍中であることは、皆さんよくお存じかと思います。普通の退団公演(サヨナラ公演)では、スターはお世話になったファンに手を振りながら最後の挨拶をするのが伝統です。天海祐希さんにもたくさんの「出待ち」ファンがいたそうなんですが言い方はちょっときつかったかもしれないけれど、会場におられたファンの心にきっと響いたことでしょう。背が高くて、身長は171cm、血液型はO型、建設業を営む父親と美容院経営の母親の元で育ちました。それと入り待ちと出待ちの際の手紙の直接の受け渡しも禁止にしました。天海祐希さんは宝塚歌劇団に1987年、73期生として入団しました。ファンにとっては将来トップスターになりそうな人を見つけるための公演といっても過言ではないでしょう。ところが天海祐希さんさんは自分自身の退団公演で、なんとその羽根をつけませんでした。天海祐希さんがもしトップの座に10年いつづけたとしたら、在籍年数が長い先輩方は月組のトップになることはできなかったでしょう。でもぶれない、芯の通った考え方や発言は変わっていないようで、そこが男女問わず人気の理由なのでしょう。(要約)「初舞台で演じた【ミー・アンド・マイガール】を再演するという話を知った時、なんだかスケジュール表が光り輝いているように見えてここでやめようと思ったんです」そして、のんびり写真を撮っていたファンに向かって、次の衝撃的な言葉を言い放ったのです。171cmの高身長で舞台映えし、キリっとした美形の顔立ちでファンのハートを掴み続けた天海祐希さん。舞台のラストでは主役が大階段から背中に大きな羽根の飾りをつけて降りてきます。そもそも天海祐希さんが宝塚歌劇団に入ろうとしたきっかけは、中学2年生の時担任だった宝塚ファンの先生から勧められたからだそうです。反対に最近ファンになった人、家が遠いので頻繁に宝塚歌劇を見に行けないファンもいるでしょう。慣習にとらわれず、自分がいいと思った行動を取る天海祐希さんならではのエピソードです。自身の退団公演のラスト、大階段で天海祐希さんは背中に羽根を付けていなかった!ただ天海祐希さんの宝塚時代には数々の驚きの「伝説」が残されているので、ご紹介します。そこがファンにとってのメインイベント、待ってました!という場面です。トップにのぼりつめるには相当の苦労があっただろうと思われます。宝塚歌劇団にはファンを招いての「お茶会」が催されることがあります。伝統と格式を重んじる宝塚でしきたりを破って許されたのは、後にも先にも天海祐希さんくらいでしょう。建設業をされていた父親と美容院を営んでいた母親からずっと言われ続けたこの言葉が「伝説」と呼ばれた天海祐希さんの行動の原点なのかもしれません。大女優としての地位を築き上げた天海祐希さん。宝塚歌劇団出身ということは良く知られています。しかし、抜きんでた才能と努力が評価されただけですので、これは信じにくいですね。ただ、それでもちょっと退団を決めるのが早すぎるような気もしたので、ここでちょっと推理をしてみましょう。本公演に進めるのはその中でも実力のある人だけ。いわば新人の登竜門。宝塚には「男役 10年」という言葉もあるほど男役として成長するには年月がかかるのです。意外にも子どもの頃からずっと憧れていたというわけではなかったようです。宝塚歌劇団には新人公演があり、入団7年目までの若手が出演するのです。何百人ものタカラジェンヌと接してきた演出家には、受験の時からほかの人とは違う何かを天海祐希さんに感じていたのでしょう。天海祐希さんはその実力の高さから、新人公演の主役に宝塚史上最速で抜擢されているのです。これは、自分だけでなく他のメンバーの出入りがスムーズにいくようにという配慮です。100万円のプレゼントをしてくれる人も、10円の飴をくれる人も同じように大事にしなさいと」スターはファンに嫌われたくないので、なかなかこういうことを言う人は少ないでしょうね。「さっさと終わらせれば、その分たくさんお話しできるんだから!」これもタカラジェンヌの伝統としきたりを破る行為でしたが、天海祐希さんだからできたことでした。しかし、あっさりとその地位を捨て、女優として次のステージに挑戦しようと決断できる潔さは見習いたいものですね。異例の出世のほか数々の伝説を残す天海祐希さんだけに、快く思わない人も中にはいたかもしれません。宝塚歌劇団時代にこんなに数々の天海祐希さん伝説があったとは!今回調べてみて驚きました。宝塚歌劇にはいつも近くにいて世話を焼いてくれる熱烈ファンや、新人時代を含め長い間そのスターだけを追いかけてくれる年季が入ったファンもいます。1967年8月8日生まれで(2019年12月現在52歳)東京都台東区東上野のご出身です。2019年4月10日に放送された「徹子の部屋」で天海祐希さんはこんな事を語っています。そしてその目に狂いがなかったことは今の女優としての活躍にも通じています。長身で、見た目の美しさだけでなく、カリスマ性や、歌や踊りの才能もありますからね。天海祐希さんは当時、大人気だったため、たくさんのファンが会場に詰めかけました。普通ファンに向かってそんなこと言う?と思った方、これは実は天海祐希さんの「愛」なのです。天海祐希さんらしい「分け隔てなくみんな私のファン」という姿勢が出ているエピソードです。頭のよさそうな天海祐希さんならもしかしたらその辺りも考えていたかもしれませんね。中にはスターがなかなか出てこず、家に帰るのが遅くなってしまったなんてことも。1993年天海祐希さんは入団7年目で月組トップスターの座に駆け上がり、その後数々の舞台で主役を演じています。「よくぞ産んでくださった」この言葉は入学試験を受ける天海祐希さんを見た宝塚歌劇団所属の演出家、植田紳爾氏が天海祐希さんの母親に言ったひと言です。それでも人間、どうしても自分に良くしてくれる人をひいきしたい気持ちになるものですよね。タカラジェンヌの天海祐希というよりも、天海祐希自身を優先したようです。そんな思いで「出待ち」をしたことがある人もいらっっしゃるのではないでしょうか?(要約)「両親の教えに【年相応、分相応】というのがあって、いつも口をすっぱくして言われていました。決断も行動も早い天海祐希さんなら、宝塚歌劇団で成功し知名度のあるうちにいろんな役に出会って、女優として早く次のステージに立ちたかったのではないでしょうか。