1. 外国人「ゴーストオブツシマってもう侍スナップだよな」フォトモードが海外で大ウケ 2. 【ドイツの反応】「スピードスターだ」遠藤渓太、ドイツ1部ウニオン・ベルリンに移籍決定!現地サポは歓迎! 2. 1. 海外の名無しさんを翻訳しました 日本が鎖国していた期間について知ってる人はいるかい?江戸時代の日本はとても興味深いんだ 何で彼らはオランダだけに開国していたんだろうか? 以下、外国人の反応まとめ 海外の反応 海外の名無し・・・ この投稿者に日本鎖国時代、ドイツ系オランダ人医師(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)が医師である事を利用し、日本各地に入る事を許可して貰い、現地の日本人達と、西洋の小物と日本製品を物々交換して貰い、せっせとオランダへ送って集めていた面白い話を教えてあげたい。所詮は世界史とは白人キリスト教徒が作った自分に都合の良い白人中心の白人目線の物語にしか過ぎない。世界中が白人目線で語っている。各国の目線があるはず。特に日本は洗脳を解かなければならない。馬鹿な欧米人と議論しても無駄。わくわくするのに文献読むの嫌て。誰かこいつの口をぬってとじさせろ。ライン川河口のオランダは神聖ローマ帝国にとって重要な港と領地だったの。そういう違いが両者にあるので、当時の日本人からしたら、同じキリスト教と言っても全く別の宗教に思えた。故に、オランダなどプロテスタントの国とは国交があった。中国が日本と関係ない自分の侵略については認めてんのかっての、なぜ一方的に謝りたがるんだよ。ご機嫌取ったって長期的に不利なだけだしどうあがいたって不倶戴天の敵なんだよ。日本列島の存在自体が海に出るのに邪魔なんだから。あの時代のポルトガル人による奴隷売買の件、けっこう広まっているんだねw日本から締め出したのはスペイン・ポルトガルでイギリスは別に来ても問題なかった.いつも思うのはユダヤ系ポルトガル人たちが大西洋で奴隷貿易を推し進めていたということだ都合のいい建前も言えずにどうやって無法の国際社会で生き残るっていうんだ、ほんと自分だけは政府にコントロールされてる愚民とは違って賢く他国と協調していると思ってるやつほど救いようのない阿呆はいない。↑アメリカに限っては第二次世界大戦の都合の良い歴史しか教えてないのが事実なんだけどね…当時のイエズス会が勃興するプロテスタント勢力に対抗しようとして殆どテロリストのカルト教団と化していたことを知ってるのだろうか。そりゃ鎖国もせざるを得ないでしょうよ。ネーデルラント17州(州と言っても、当時は伯爵領や公爵領国だけど)のうち、北部7州がネーデルラント連邦共和国として80年戦争を経て1648年にハプスブルク家から独立し、総督は現オランダ王家のオラニエ公(現オランダの地域はプロテスタントだが、現ベルギー北部のオランダ語地域のフランドルも当時は含んでいて、そっちはカトリック)。日本の歴史についてのwikipedia(英語)は好き勝手やりたい放題書いてあるんだろうなあ。日本人英語出来ないし、日系人も数じゃ勝てないしオランダだけが日本との交易を独占出来たことを英国人は苦々しく思ってたんだろうなってことは、ガリバー旅行記見るとわかる。お前らどんだけオランダ人嫌いなんだよって内容だわ。見たいになってただろうな それか今の欧州みたいに宗教侵略とかねオランダ人の名を騙っていろいろな欧州人が日本に来ていたのは確かだよw1797年にはオランダ艦隊が英艦隊に大敗して、ナポレオン戦争でオランダ本国は1810~1815年の間フランス帝国に併合された。そうなんだよなぁ、オランダとのみ交易していたというのは間違いなんだよね。南ネーデルラントがカトリックで、現ベルギーのフランス語地域。(ハプスブルク家領)それな日本は奴隷だと思ってなかった奉公先みたいな感覚だった そもそも日本に奴隷があったのは武家社会以前だからな 舞妓や芸者だって任期がくりゃ(借金払い終われば)家に帰されてた 人身売買だっていわれりゃそうかもしれないが 所詮他国史観でしかない 芸子の身売りはアルゼンチンにそれは人身売買の奴隷だって明治維新後いわれてやめたぐらいだからな 他国と日本の最大の違いはすべて国内問題であって他国人を購入して労働させてたわけじゃないってこと>日本人は奴隷を捕まえて主人の許可なしには何もすることが出来なかったと最初は禁止されていなかったキリスト教が排斥されていった経緯とか、教えても納得はしてくれそうに無い1815年のウィーン会議で、ハプスブルク家領南ネーデルラント諸国と旧ネーデルラント共和国領、それにルクセンブルク大公国(オランダ国王が大公を兼ねる)とリエージュ司教領国とでネーデルラント連合王国として再度独立となった(欧州各国・貴族の都合で決定w)。1830年に南部地域が反オランダ・オラニエ家支配で蜂起して、イギリス承認の元に1839年分離独立でベルギー王国となる(王家はザクセン・コーブルク・ゴータ家w)ま、一口に「オランダ」と言っても、日本との通商貿易相手だった彼等は時代で国家形態が違うw日本は欧州内における価値なんてよくわかっていなかったから、金銀、美術・工芸品を破格安値で取引して大量に国外流出させてしまった。(いまでも日本国内を基準に外国内のことを単純に考える傾向にあるが)ポルトガルが隠れて日本女性を売っていたのを知った豊臣秀吉は「日本のものは我のもの。我のものを勝手に売るとは何事か!」と激怒したらしい。徳川が諸国に力をつけさせないために、貿易を独占したかったための鎖国だろ当時はまだパナマ運河もスエズ運河もないから、航海ルートはアフリカ南端や南米南端経由だから。 各地、各港を寄港しながら、貿易しながらね。イギリスの事に突っ込んでいる割にはフェートン号事件に言及している人いないじゃん。あれがきっかけで鎖国だけでなく外国船打払令が加わったのに。オランダ支援していたイングランドではあったが、後に西インド(北・中米利権)を巡って英蘭の関係が険悪化して英蘭戦争になった。もろもろ含めて戦後レジームからの脱却がなされることを希望しますところどころ意味がよくわからない文章があるので、原文併記してほしい…そもそも、鎖国という言葉がおかしい、むしろ海防という言葉のほうがあっているらしいね。中・南米は大半がスペイン、ポルトガルの殖民地だったし(ハプスブルク家領の国々。 1700年以降はスペイン領はブルボン家。 ポルトガル領は1836年以降、1714年からの英王家である同族のザクセン・コーブルク・ゴータ家)ネーデルラント領は常にフランスとオーストリア・スペイン・ハプスブルク家との間で領有権を巡る係争地wシーボルトの出身地ヴュルツブルク(カトリックの司教が君主だった教会国で神聖ローマ帝国構成国のひとつ)もマイン川沿いにあり、マイン川→ライン川を下ってロッテルダムに出る。(現在でも重要な欧州内の国際交通河川で、運河を通ってドナウ川につながり、北海から黒海へと抜けられる)世界中を巻き込んでの欧州の貿易戦争、覇権戦争。(布教活動、宗派勢力拡大もそれに伴う)ナポレオン時代にネーデルラントは独立失い、フランスに併合された。海外wiki改正させられるなら一つ一つ直さないで落語みたい気の利いたオチつけたら一文でけりつけれるね。>ただ日本のことについて書いてある海外版wikipediaだけは信用するなそもそも日系人が日本に有利なことを書くといつから錯覚していた?奴隷貿易の件も必死に否定しているのを見ると、真実を教えても受け入れてくれないんだろうと思う。↑イギリス人やスペイン人もナポレオンの戦争が終わるまで積極的に活動していたと思うけど布教にかこつけて宗教的に日本を侵略しようとしたり、日本人を攫ったり人身売買したりするんだからしゃーない<鎖国今の時代鎖国とかはないけど、円高で外需がふるわなかったおかげで(国内の競争が激しくなって)内需がのびたとみると、当時の鎖国も文化的接触を保ちながら、日本の文化を芳醇させた点でなかなか有効ではなかったのかな