そんな中、小5から飼っていた大切なセキセイインコが死にました。そんなとき、芸術がそのいっぱいいっぱいな心のなかで、隙間を空けてくれる(言い換えると、埋めてくれる)存在なのかなあとこの文章を読んでて感じました。芸術が生み出すものって何だろう?上手くなったところで、果てに何があるか分かりませんが、問い続けて、それでもなお絵に向かわれるタナムラさんは、タナムラさんの絵は素晴らしいと思いました。いま生きる人達に絵で伝えられることがあるはず。幸せとはなにか気付かせることができるはず。棚村さんの事は、自分の好きな東京大学教授のリツイートで知りました。ちなみにその教授も絵を書いています。いつか水が飲みたい…など思わせる未来の絵も大切かもしれませんが過去も大切。この作品は東京藝大学部3年生学外展「無二無二」(アーツイン千代田3331)で展示しました。ただ私は過去に一つだけ絵を観て泣いたことがあります。それはどんな絵だったかというと戦争の絵です。リアルに描かれていて、私はそれを観て過去にこんな時代があったのだと。。絵を見なければ気付かなかった。知らなかった。自分が絵を描きたいがために、勝手に世間から求められているものだと盲目に信じ込んで喜んでいただけなのではないか。大都会の夜です。一人の人生に絶望した人が電車に飛び込み自殺を決心します。人気の少ない駅の通路を歩いていました。通路の壁に数点の絵画が展示されていました。その中の一枚が、ふと目にとまりました。小高い山を背にした山村風景。それを見た途端、懐かしい自分の故郷の風景が蘇ってきました。今まで、絶望感しかなかった心の中に、何故か新鮮な空気が入ってくるのを感じた。その人は「もう一度、一からやり直してみよう」と決心しました。たった一人の人にでも、何かの救いになるような絵を描ければ、それで良いのかなと思います。だけど人の幸せのため、人に好かれる絵を描こうとすると次第に何を描いたらいいか分からなくなりました。絵は紙と絵の具でしか無いし、本物の水やカツカレーになる訳じゃ無いけれど優秀な人のみが理解できる抽象的なものへの感動が格の高い感動(?)とされてますが、その手の格は実はわりとどうでもいいことじゃないかなーと超生意気に密かに思ってます。だったら、せめて自分は幸せでいたい。そして、その自分の大切な人々だけにでも幸せを感じてほしい。そう思うのです。藝大学部3年生のとき、私はF200号の「心へ」という油彩を描きました。私には好きなモチーフがあってそのモチーフの絵をよく描くのですが、以下のようなことを考えると自分の筆が止まってしまうように思えました。絵画その他芸術に限らず、どんな分野でも結局、自分が感動すればいいと思うわけですよ。そのバイブが人に伝われば他人にも感動を分けられて、結果的に幸せになるのを助けることになるかもしれない。ここでいう感動は正で負も含みます。悲しさの表現に慰められる人はきっとすごく沢山います。また感動の種類は、また掃除で部屋がきれいで気持ちいいという日常的な感動から、スポーツの感動、お笑い芸人の芸が受ける感動、科学者の好奇心を満たす感動等いろいろあります。けれど生きていくうちに、そんな心は言葉や感情、色々なものに引っ掻かれて、幸せを感じるどころではなくなっていく。目の前にステーキの絵と本物のステーキがあったら、美味しいステーキを選ぶかもしれません。ぜひコメントをいただけたらと思います、よろしくお願い致します。画家と格闘家でバンジージャンプをしたら「落ちても痛くない」と励まされた話2つ目は、人に孤独じゃないことを教えてあげること。タナムラさんの描いた絵で涙を流した人は、自身の思う情景に近いものを感じて涙を流したのではないでしょうか? 絵描き屋さん以外は、自分の気持ちを想像することはできても、実際に描くことはできません。どのような場所でも聖域はありません。それぞれ、目的が違い、その場所に居ます。宗教画を通じて聖なる言葉や天国の風景を見ることが幸せへの道なのではないかと思いました。私は22年の知識しか無いので、いろんな方の意見をお聞きしたいです。でも時にはお金がなくてカツカレーが食べられない日もありました。そんな時、私は東京藝大で学部2年生のとき、私はよく音楽学部にあるキャッスルという学食でお昼ご飯を食べていました。生まれた時からずっと信じてきた神様や世界が嘘だと疑うことはとても苦しいことでした。それが原因で家庭も崩壊しています。このように考える前提に、人にとっての幸せが定義されていないから迷うのでは無いかと思いました。彩加さんに頂いた鳥の絵は、今私の家で魔法をかけてくれています。とても幸せです。 絵画は人の命を助けることはできないし、. だから、このブログのヘッダーも虹にしました(*^^*)ハワイにまた行きたいな。ハワイに行けますように★って、今度 虹を見たらお願いしてみようかな。そう思って空を見上げています。青空をぼーっと眺めるのが好きです。見上げた時に幸せな気分になる。虹は幸運の前兆と言いますが、その存在自体が幸せにしてくれます。 私は子供の時から虹が好きで、よく 虹の絵を描いていました。うちの娘もよく描いてます。流れ星のようだね。実は私はハワイで挙式したんです。その時見た虹がすっごく奇麗でした。太陽の光がスギの大量の花粉で屈折して見える虹色の輪で とてもきれいなんですが、こちらは めでたくないですね。そして、いつか奇麗な虹がかかる。雨が降らなきゃ虹はかからない。毎日使う部分、一番目につく部分を幸運のレインボーにしてみませんか?すぐに空を見上げましたが、残念ながら、私の地域では見えませんでした。雨粒は平面で、そこにあるだけではない。歩いて行く方向の奥にもずっとある。主虹の下に見えるそうですが、見たことないというか、気づいたことがありません。古代の中国では虹は凶兆、また日本でも地震の前触れと言う説もありますが、そのあたりの科学的なことは、よくわかっていません。今度、写真で撮ってから探してみようかな。今は、すぐにスマホで撮影できるからいいですね。虹は太陽の光が空中の水滴(雨粒)の球の中で屈折して、雨粒がプリズムの役割をして反射し、空にアーチを描きます。天気の気まぐれで、時々しか現れてくれないから、見つけるとラッキーな気持ちになる。© 2020 そらめも All rights reserved.天候が変わりやすい日に、虹は現れやすい。夕立や台風の後に良く見えますよね。白色の光が屈折により、7色に分散されて、その一番光が集まる部分が濃い色として断層のように外側から映ります。私、花粉症なんです。これを見ると、いよいよ辛い季節の到来って思います。心に染みるいい曲です。この動画はイラストも可愛くて癒されます。昨日から天気が荒れていますね。春の嵐。深夜は台風のように雨風が強かったです。太陽を背に、庭に水をまいて、水しぶきでプリズムを作ることも出来ます。もし、朝 奇麗な虹が見えたらテンション上がりますよね。いいことありそうって。「いつか追いつける?」って聞かれて、「じゃあ、虹に向かって歩いてみよっか」と(*^^*)自然からはパワーがもらえますね。心の中で どしゃぶりの雨が降ったって、いつか晴れる。だから、迷信だとか言われていますが、幸せになれると思います。上を向くことが大事。ハワイではダブルレインボーを見たら願い事を唱えると叶うと言い伝えられているとか。🌈20年にわたって撮り続けた世界中の虹を集めた世界初の虹の写真集です🌈なぜ、今回、虹についての記事を書こうと思ったかと言うと、先程 知人から虹の写真が届いたからです。遺伝?