午後、首都のマニラに到着した一行は6班に分かれ、それぞれ亡き父の縁の地へ移動し、翌日から慰霊巡拝を行った。一方ルソン島のA・B班はマニラ市内のタギック地区にある「無名戦士の墓」に赴き、碑に花輪を手向け敬意を表した。A班:山南、バイ、ブーツ、ダグア、アンゴラム、アイタぺ方面(機上遥拝)26日、アウステン山の戦没者慰霊碑で在ソロモン日本国大使館代表の参列のもと、全戦没者追悼式を挙行し哀悼の誠を捧げた。同夜にはセントニコラス小学校教師、児童を招いて懇談会を開催し、交流を深めるなど、所期の目的を果たした一行は、28日無事帰国の途についた。その後、各班に分かれ、A班はルソン島のリサール公園内日本庭園、東方山地ボソボソ、イポダム、クラーク飛行場跡で、B班はレイテ島のタクロバン、パロ、リモン峠、カンギポット山、ビリヤバで慰霊祭を執り行った。戦没者が辿った激戦の地を目の当たりにし、その苦闘を肌で感じた団員は、慰霊祭で涙ながらに亡き肉親に対して追悼文を読み上げ、英霊の冥福を祈った。「南太平洋戦没者の碑」前で全戦没者追悼式を挙行=2月13日、ラバウルでまた、友好親善事業では、各班、訪問先の小学校でサッカーボールや団員が持ち寄った学用品・衣類等を贈呈し、子供たちと交流し心を和ませた。さらに、病院を訪問し車椅子を寄贈し現地の方々との友好親善を図った。マレー半島では、ジョホールバルの旧南方第三陸軍病院跡(現在はサルタナ・アミナ病院)で慰霊祭を行い、亡き父に積年の思いを語りかけた。A班:カロー、ペグー山系、トングー東方ピュ郊外、マンダレー街道沿い、ヤンゴンツラギ島での慰霊祭を終えて、船上から海へ花を手向ける団員=11月24日15日、所期の目的を果たした一行は、それぞれの思いを胸に全員無事に帰国した。A班(11人・付添1人)は、マニラ市内ルネタ公園、東方山地のボソボソ、ワワダム、マリキナで、B班(9人)は、キャピテ、パオ、パタンガス、クエンカで、C班(12人)は、クラーク、ゴンザレス、サンフェルナンド、バギオで、D班(8人・付添2人)は、アンガット方面、バレテ峠、ラモ、オリオン峠で、E班(11人・付添2人)は、パナイ島ナソ岬方面、ミンダナオ島ダバオ市内のカタルナン、ダリアオ海岸で、F班(9人・付添1人)は、セブ島セブ市内、レイテ島オルモック湾付近、カンギポット山方面、東海岸でそれぞれ慰霊祭を行い、共に散華された英霊の冥福を祈った。永澤庄一郎本会常務理事を総括団長とするマリアナ諸島慰霊友好親善訪問団は11月20日、全国の遺児代表30人が靖国会館に集合し結団式を行い、靖国神社にて昇殿後、前泊の成田へ移動。翌21日亡き父の眠るマリアナ諸島に向け、2班に分かれて出発。中井靖教本会評議員(奈良県遺族会会長)を団長とするソロモン諸島慰霊友好親善訪問団は、11月21日、全国6都県の遺児代表8人が東京・靖国会館に集合し結団式を行い、靖国神社で旅の安全を祈願し昇殿参拝を行った。同夜成田空港を出発し翌朝オーストラリア・ブリスベンを経由して、ソロモン諸島の首都、ガダルカナル島のホニアラに歩を印した。また、友好親善事業では、各班とも現地で小学校と病院を訪問し、スポーツ用品、学用品、衣類、車椅子等を寄贈し、記念植樹を行うなど、子供たちや現地の方々と友好を深めた。カリラヤ「比島戦没者の碑」前で全戦没者追悼式を挙行=11月10日ムアラのサラサ海岸で亡き父に語りかける団員=10月30日、ブルネイでウエワク洋天台、バラム、ダグア、アレキサンダー山系(ニブリハーフェン、ウイフン、坂東川、マルジップ)※機上遥拝8日、カリラヤの「比島戦没者の碑」前において全戦没者追悼式を挙行し、散華された英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。さらに、同夜は日本国大使館代表等を招いて懇談会を開催した。所期の目的を果たした一行は、九日それぞれの想いを胸に帰国した。亡き父に積年の思いを語りかける団員=ミンダナオ島ダバオ市カタルナンで整形外科病院を訪問し、車椅子を寄贈して友好を深める=2月19日、ヤンゴンで「中部太平洋戦没者の碑」前で全戦没者追悼式を挙行=サイパン島で同夜、桑原公使、岡田一等書記官を招いての懇談会を開催した。懇談会は工藤みや子(青森県遺族連合会青年部長)B班団員の司会進行で始まり、巡拝団を代表して辻B班副団長が挨拶し、北浦A班副団長が乾杯の発生をした。今回の戦跡慰霊巡拝を通してお互い兄弟姉妹のように打ち解けた団員は、旅の思い出を語り合い、今後の青年部のあり方等を意見交換するなどして、有意義な懇談会となった。トラック環礁内での洋上慰霊祭、父の冥福を祈る=10月3日、トラック諸島でその後ラブアン島に渡島し、幾度も斬込が繰り返され守備隊玉砕となった飛行場で慰霊祭を行い、家族の近況報告をし亡き父を弔った。12日、巡拝団は、日本政府が建立したカリラヤの「比島戦没者の碑」にて、在フィリピン日本大使館桑原敦公使、岡田岳大一等書記官参列の下、全戦没者追悼式を挙行した。水落総括団長、桑原公使、辻副団長がそれぞれ追悼の辞を述べ、団員全員が祭壇に献花し、英霊に哀悼の誠を捧げた。友好親善事業の一環では、ラナウのブンダートゥハン地区にある孤児院を訪れ学用品等を寄贈し、子どもたちと唄や踊りで交流を深め、ミリの老人施設では車椅子を寄贈し意見交換がなされた。慰霊巡拝地:ラエ、ガリ方面(カブトモン、グンバヤン)※機上遥拝、A班はテレサ、タナイ、シニロアン、マリキナ、モンタルバン、ボソボソ、マニラ港(埠頭内)、マニラ市内(オーシャンパーク内)、イポで、B班はシニロアン、ボソボソ、モンタルバン、ハゴノイ、ルセナ、バタンガスで、C班はクラーク、タルラック、ボンドック道、イリサン、サンタクルズ、マシンロックで、D班はバレテ峠、バンバン、バヨンボン、オリオン峠、キャンガン、バナウエで、E班はパナイ島イロイロ方面、ナソ岬方面海岸、セブ島セブ、レイテ島オルモック港(埠頭)、カンギポット、カナンガ、パロ、ドラッグ海岸、ブラウエン旧飛行場跡で、ぞれぞれ慰霊祭を行い、亡き父へ積年の想いを存分に語りかけた。「第二次世界大戦慰霊碑」前において全戦没者追悼式を挙行=1月25日、ビアク島で水落敏栄本会会長を総括団長とする日本遺族会青年部フィリピン戦跡慰霊巡拝団は、1月9日、靖国神社に集合し結団式を行い、靖国神社に昇殿参拝した後、A班は成田空港からB班は羽田空港からマニラに入った。安齋満本会評議員(福島県遺族会会長)を団長とするボルネオ・マレー半島慰霊友好親善訪問団は、10月29日全国の遺児代表10人が東京の靖国会館で結団式を行い、30日シンガポールを経由し彼の地で慰霊のため翌31日、マレーシア最南端の都市ジョホールバルに第一歩を印し、それぞれの縁の地へ向かった。B班:ミートキーナ、モガウン北方、サガインヒル、メイミョー、メイクテーラ、セイクピュー翌朝、A班、B班そろってマニラ市内のリサール公園を訪れ、水落総括団長、畔上和男(本会専務理事)B班団長、北浦基弘(本会青年部幹事)A班副団長、辻正人(本会青年部長)B班副団長が揃って衛兵の誘導でリール記念碑に代表献花し、団員全員が拝礼した。A班:モールメン、ニューレアンビン、トングー、カニクイン、ヤンゴンCopyright© 2012 - 2017 NIPPON IZOKUKAI All rights reserved.11月6日、ラブアン島の「ボルネオ戦没者の碑」において、在コタキナバル領事事務所の加古志保所長参列のもと、全戦没者追悼式を挙行しご英霊に感謝と哀悼の誠を捧げ、七日帰国の途についた。B班:クラーク、タルラック、ボントック、バギオ、マンガルダン、リンガエン湾、マシンロックC班:ルソン島北部サンフェルナンド、バギオ、バレテ峠、キャンガンこの日、バタンガス州のタール火山が約四十五年振りに噴火したことにより、巡拝団のフライトが遅延、欠航する事態に見舞われたが、日本大使館、旅行社添乗員の尽力により、B班は十三日の夕刻に、A班は十四日の早朝に全員無事帰国した。同夜、小野領事をはじめ、北マリアナ公立病院の代表者を招いて懇談会を開催し、現地の関係者と親睦を深めた。慰霊巡拝地:ガダルカナル島ママラ川、勇川、ニュージョージア島ムンダ、ツラギ島25日の午前にはサイパン島の北マリアナ公立病院に車椅子を、ガラパン小学校には、団員が持ちよった学用品等を寄贈、現地の関係者と友好を深めた。23日にはマタニカウ川、コカンボナ、ママラ川で慰霊祭を行い、祭壇に故郷から持参した品々を供えて亡き父に語りかけ、午後はニュージョージア島のムンダに移動。24日朝、ホテル前で海を望んで個人慰霊祭を執り行い、亡き父たちの冥福を祈った。小型ボートを借り上げ、スコールと波しぶきの中をコロンバンガラ島方面へ。波の穏やかな海上で艦と運命を共にした父上をはじめ、ご英霊に花やお酒を手向けた。午後には激戦の地となった三角山で積年の思いを語りかけ、懇ろに弔った。フィリピン慰霊友好親善訪問団(総括団長=畔上和男・本会専務理事他60人・付添5人)は、11月8日靖国会館に集合し結団式を行い、翌日、フィリピンに向け成田空港を出発した。A班:ボソボソ、バレテ峠、イポ、モンタルバン、コレヒドール島、マニラ市内同日午後、サイパン島マッピの「中部太平洋戦没者の碑」前において、在サイパン領事事務所の小野一彦領事ご夫妻参列のもと、全戦没者追悼式を挙行し、中部太平洋諸島及び周辺海域で戦没された英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。カドウィンチャン小学校を訪問し児童らと交流=12月4日、ペグーで日本遺族会は、厚生労働省の補助事業である「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」のフィリピン、ソロモン諸島の2地域を実施した。2地域に総勢93人の遺児が参加した。宇田川剱雄本会副会長(東京都遺族連合会会長)を総括団長とするフィリピン慰霊友好親善訪問団(全国の遺児代表85人)は11月2日、東京・靖国会館に集合し結団式を行うとともに、靖国神社で旅の安全を祈願した。翌朝フィリピンへ向け出発し、マニラ到着後はそれぞれ縁の地へと向った。A班:マヌス島ロレンゴウ、ニューアイルランド島カビエン、ニューブリテン島ラバウルB班:ラエ、ボイキン、ウエワク洋天台、フィンシュ―ハーヘン方面(機上遥拝)小学校を訪問し学用品を寄贈。生徒たちと交流=2月13日、ウエワクでケープ・オーム小学校で学用品等を寄贈し、生徒たちと交流=10月17日、ウエワクでA班一行はグアム島のジーコ、アデラップ岬、アサン岬、サイパン島のサイパン神社、アスリート飛行場跡、ヒナシス、タッポーチョ山、地獄谷をめぐり、B班一行は、テニアン島の西ハゴイ地区、カロリナス、タガハウスパーク、サイパン島のパナデル飛行場跡、地獄谷、タッポーチョ山、サイパン神社を巡りそれぞれ慰霊祭を執り行い、亡き父に積年の思いを語りかけ、共に散華された英霊の冥福を祈った。C班:カラングラン、バレテ峠、オリオン峠、レストハウス、キャンガン、サリナス、カヤパ、アックレー慰霊巡拝地:クエゼリン、ルオット、タロア島、ウォッゼ島、ミレ島、イバイ島ボルネオ島では、コタキナバルの南方第十一陸軍野戦病院跡(当時はゴム林で現在は高層マンションが立ち並ぶ近隣の公園)、サンダカン死の転進の行軍路となったラナウ、ミリ北西遥か海域が一望に見渡せるカナダヒルでそれぞれ慰霊祭を行い、亡き父の冥福を祈った。14日にはカリラヤにある日本政府建立の「比島戦没者の碑」前において全班揃って、全戦没者追悼式を挙行、ご英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。ブーゲンビル島(タロキナ、カガウン、マワレカ、ブイン、ムグアイ、エレベンタ、キエタ)※機上遥拝友好親善の一環として、ムンダの小学校でラグビーボールや団員が持ち寄った学用品や衣類等を寄贈、記念の植樹を行うなど明日を担う子供たちと交流を深めるとともに、ホニアラの赤十字特別支援センターでは車椅子等を寄贈し民間外交に務めた。孤児院を訪問し学用品を寄贈。子供たちと唄や踊りで交流を深める=ボルネオ島で