4 お気に入り 338847 view. ジャニーズ事務所に所属する芸能人75名の一覧です。事務所名からさらに職業、年代別に絞れます。ジャニーズ事務所に所属する芸能人には、歌手の中居正広、タレントの大野智、歌手の木村拓哉などがい …

Say! お気に入り追加. お気に入り 詳細を見る. 今現在、ジャニーズが力を注いでいるグループ「King&Prince」。当時から、完璧主義と言われていた東山紀之さんの影響なのか、特にダンスは、動きがしなやかで余裕がありキレキレでした。忍者の格好をしたカメが活躍したアニメ「ミュータント・タートルズ」がアメリカで流行していたころから、世界でも活躍するようにと名付けられた「忍者」。不良なイメージを売りにした男闘呼組は、デビューから解散まで5年と短く、印象はやや薄め。「タッキーは特別なことが普通。」「小さなジャニーさん」と呼ばれ、ジャニー喜多川さんのお気に入りだった滝沢秀明が、「今井翼とユニットを組みたい」と社長に直談判し結成されたタッキー&翼。半世紀もの長い歴史があるジャニーズグループは、これまで多くのスターを輩出し、男性アイドルの礎を築いてきました。それぞれ姉が送った履歴書がきっかけで、ジャニーズ事務所に入所し結成されたKinKi Kids。しかし、喜多川ジュリーさんと、飯島三智チーフの派閥争いがおこり、SMAP全員が飯島チーフについていく予定でしたが、「ジャニーさんへの恩がある」ということで木村さんだけジャニーズ事務所に残ることに。野村義男(たのきんトリオのヨッちゃん)のロックバンドとして結成され、デビューした「The Good-Bye」。メンバーの脱退もあり、残った4人で「四銃士」とユニット名を変更しますが、勢いは戻らず、ひっそりと活動休止となりました。デビューの曲名が「ベルサイユのばら」ということから、当時ジャニー喜多川さんが、宝塚に影響されていたことが分かります。ジャニーズ王道の王子様路線でキラキラ感満載ですが、Jr.時代の地道な下積みがあってのデビューというのは有名な話。残った4人中の3人が不祥事を起こすなど、色々と問題があるグループだけに、今後の動向が注目されています。一時期は嵐を抜けるほどの勢いがあった「KAT-TUN」だっただけに、悲しいですね。現在でも解散せず、グループを続ける「少年隊」は、ファンにとっての希望ですね!ジャニーさんお墨付きで、「少年たち」や「ジャニーズ伝説」などの伝統的な舞台を長く演じ、ジャニーズ事務所の看板を背負っている「A.B.C-Z」。関西出身のメンバーで結成され、大阪弁で気取らないキャラクターで人気のある関ジャニ∞。関西ジャニーズJr.として活動したメンバーから結成された「ジャニーズWEST」。1990年代に入ると、SMAPはバラエティに活路を見出し、従来のスター性ではなくカジュアルさでお茶の間で人気を博していきます。「VIP」も、そのグループの一つで、それまで「ジュニアスペシャル」で活動していた板野俊雄、林正明、畠山昌久に河村信子、吉本和子という2人の女性が加わって結成されました。キャッチフレーズは「ジャニーズ事務所の秘蔵っ子」で、CDデビュー後も近藤真彦やシブがき隊、少年隊のバックダンサーを務めました。フォーリーブスの名前の由来は、『ジャニーズ』の解散コンサートのサブタイトル『フォーリーブス物語』から名付けられました。これまでのグループの中をみても、並外れた身体能力を持つ3人で結成された「少年隊」。SMAP解散で勢力図も変化した中で、関ジャニ∞はメキメキと力をつけ、今では嵐、KinKi Kidsに続いてジャニーズ事務所の人気ナンバー3まで登り詰めました。最初は草野球チームから始まり、途中には女性メンバーがいたり、今では想像できないエピソードもありました。グループ名は、メンバーのイニシャルから来ており、「キスマイ」という愛称でも有名ですね。正統派イケメンはいないものの、軽快なトークや笑いのセンスなどジャニーズらしからぬ魅力で活躍しています。俳優活動では、1994年のドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』で役者としてもブレイクを果たしました。バラを掲げて、王道の王子様スタイルでデビューを飾った「Sexy Zone」。グループ名の由来は、原石(ストーン)と音域(トーン)をかけ、6人が音域と個性を出してという意味が込められています。そこで今回は、ジャニーズ歴代タレントからデビュー順に年齢や上下関係が分かるように一覧にしてみました。一方 今井翼は芸能界は引退せず、舞台俳優として歩み始めました。原宿の代々木公園で30名ほどの少年たちが集まり草野球をしていました。コンサートの最後の舞台には、ローラースケートが残され、さながら山口百恵さんの引退コンサートのようでした。ジャニーズの歴史では、男性だけでなく女性メンバーが所属した時代がありました。ちなみに、2016年の大河ドラマ『真田丸』で高橋と岡本が共演し、かつてのファンは喜びましたが、再結成することは今のところなさそうです。関ジャニ∞から10年ぶりに、全員関西出身のグループで、芸人さながらのトークと屈託のない明るい笑顔が武器です。『滝沢歌舞伎 』で見いだされただけあって、アクロバットとダンスが得意なグループ。しかし、2011年に山下はソロ活動、錦戸は関ジャニ∞の活動に専念するためグループを脱退。当時のアイドルは16歳から17歳くらいが主流でしたが、平均年齢12歳という若さで結成された「リトルギャング」。1981年にドラマで共演したモッくん、ヤッくんと、フッくんの3人で結成され、チョット不良っぽい感じが、少女たちを虜にした「シブがき(=硬派な悪がき)隊」。しかし、メンバーで一番人気のあった中村繁之が、NHK『レッツゴーヤング』などでソロで活動するにつれ、グループは自然消滅していきました。どんなことにも常に本気で挑む、A.B.C-Zの姿勢は好感が持てますね。『バレーボールワールドカップ2003』のイメージキャラクターとして、山下智久を中心に小山慶一郎、増田貴久、加藤成亮、手越祐也、草野博紀、森内貴寛で活動していましたが、2002年に関ジャニ∞の錦戸亮、内博貴が加わり、結成されました。最年長と最年少の年齢差が11歳もあり、ベネズエラ人の父を持つラウールなどキャリアもバラバラのメンバーからなる「Snow Man」。1997年のデビューシングル『硝子の少年』は累計で178.6万枚売り上げ1枚目で大ヒットし、その後も『愛されるより愛したい』『全部抱きしめて/青の時代』『フラワー』がミリオンヒットしました。その後は、「Venus」「Ho!サマー」などヒット曲を出し、ベストアルバム『タキツバベスト』は、オリコン1位を獲得したことも。滝沢にいたっては、1999年、TBS系ドラマ『魔女の条件』、NHKの大河ドラマ『義経』で主演を務め大ブレイク。また二人が司会をした音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』の番組内で発表された『好きになってく 愛してる』もオリコンランキング1位を獲得。アクロバットを得意とし、綺麗に揃ったダンスは、いまも健在です。当時は、ローラースケートを履いたパフォーマンスに憧れ、マネする人も多かったですね!美空ひばりさんのヒット曲『お祭りマンボ』のリメイクした『お祭り忍者』で、デビュー4か月にして紅白にも出場しました。9人というジャニーズ史上最多人数の大所帯グループであり、ファンクラブの会員数では約50万人以上の人気を誇ります。「シブがき隊」が少年隊のバク転をみて「かなわない・・・」と解散を決意したほどの実力がありました。そのアクロバティックな動きは、カメラからフレームアウトすることも(笑)。メンバーの入れ替なしに、ペースを落とすことなく20年間活動してきましたが、2021年に自分を見つめ直したいという理由から休止を宣言しています。男子校を覗き見ているような ザ・男子なノリが特徴の「SixTONES」。お笑いや下ネタなども、お構いなしの 飾らない人柄がうけ、バラエティにも多数出演することが多くなりました。その野球チームの名前は「ジャニーズ球団」で監督を務めていたのがジャニー喜多川さんだったのです。メンバーの服装も衣装というよりはラフな恰好で、ストリート系が流行った 当時の時代背景にバッチリハマっていましたね。下積み時代のフォーリーブスは、ジャニー喜多川さん愛車・クライスラーに乗り、副社長・メリー喜多川さんお手製の衣装を着て、ジャズ喫茶などをまわっていました。また現在のジャニーズJr.のように、初代「ジャニーズ」の後ろでバックダンサーを務めるなどジャニーズグループの体系を作ったグループでもあります。現在は4人体制で奮闘していますが、メンバーは全員40代ということもあって独立の噂もささやかれています。24年もの長い間、グループのメンバーが1人も欠けず、6人中4人が結婚をしていることなど、ジャニーズのアイドルとしては革新的なグループですね。前3人(藤北玉:通称まえあし)と後ろ4人(舞祭組)に分けられ、歌番組などで着用する衣装は明らかに色や装飾が異なるなど「メンバー内格差」が今ではネタにされています。しかし、ヒット曲も生まれず、デュオ曲を1枚だけリリースしただけで自然消滅してしまいました。千賀・宮田・横尾・二階堂の後ろ4人は、元SMAPの中居正広プロデュースユニット「舞祭組(ブサイク)」としてCDデビューも果たしています。その後も『りんご白書』や『おーい!車屋さん』など、お嬢(美空ひばり)ソングをアレンジし続けた忍者でしたが、次第に人気は低迷し、アイドル路線に転向するも人気は復活せず。メンバーの最年長と最年少の年の差が9歳もありますが、そんな年齢差を感じさせない団結力も魅力。オリジナリティ溢れる企画や体力勝負のコーナーが売りの「ザ!鉄腕!DASH!!」、「TOKIOカケル」などバラエティで活躍するも、山口が強制わいせつ容疑でグループを脱退。フォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーをしていたメンバーで結成された「ジュニアスペシャル」。その後、ジャニーズJr.の中で頭角を現していた長瀬が加入し、TOKIOとなりました。ありのままの個性を受け入れ、一つのグループとして魅力を増していくグループになっていくことでしょう。アラフォーなら誰でも知っている伝説のアイドルグループ「光GENJI」。滝沢は、ジャニーズ Jr.の育成や、コンサート、舞台などのプロデュース業に専念するため、2018年芸能活動からの引退を表明し、ジャニーズアイランド社長に就任しました。ドラマ・映画、舞台、絵画展、ニュースキャスター、バラエティー番組など、どの分野でも大きな成功を納めてきました。年号が変わる時、「平成が終わったら解散する」という噂も流れましたが、次世代のジャニーズを担っていく重要なグループです。「中島、佐藤、菊池を軸に他メンバーは入れ替える」という異例の発表がされると、松島とジュニアメンバーから成る「Sexy 松」、マリウスとジュニアメンバーから成る「Sexy Boyz」など新ユニットが結成されました。当時は『日本レコード大賞』を受賞するなど、同時期にデビューした「チェッカーズ」のライバルとして人気を博しました。1982年に石川博文を除く4人で結成され、「ジャニーズ幼年隊」 → 「ジャニーズ少年隊ジュニア」 → 「少年隊ジュニア」→石川が加入し「イーグルス」と変化していきました。おまけ的要素も大きかったアイドルの歌ですが、嵐の楽曲は実にキャッチーで、イントロだけで嵐と分かるオリジナル性も魅力。ジャニーズグループの中でも、セクシーさとワイルドさを打ち出しているのが「KAT-TUN」。歌やダンスが決して上手いとは言えず、人気が出ずに見放されかけたところ、飯島三智さんがアイドルらしい華やかさを排除し、等身大のキャラクターを打ち出したところ大ブレイク。全員の顔面偏差値が高いのに、話しだすと普通の男子に戻るギャップも人気の一つです。1994年8月に大沢樹生と佐藤寛之が脱退した頃から、人気も低迷し、翌年ののライブを最後に解散をしました。その後、松原秀樹さんと曽我泰久さんは、川崎真世さんのバックバンドとして活躍しました。「光GENJI」を彷彿とさせるローラースケートでのパフォーマンスと、「ギャップ萌え」を武器に活躍してもらいたいですね。いかにもアイドルの王道をいく変わらない堂本光一と、力を抜いた立ち振る舞いで 自分の道を模索する堂本剛のコンビは、今後も長続きしてくれそうですね。坂本昌行、長野博、井ノ原快彦の20th Century(トニセン)と森田剛、三宅健、岡田准一のComing Century(カミセン)という兄、弟組で分かれるメンバーで構成されるV6。活動休止から13年を経て2003年に、「再会ライブ」としてZepp Tokyoでライブを開催しています。ヒット曲は、「ガラスの十代」、「パラダイス銀河」、「勇気100%」などあり、今でもジャニーズの後輩に歌い継がれています。6年を経て「解隊宣言」をし、グループの活動に終止符を打ちましたが、布川敏和さんは環境保護の活動、薬丸裕英は司会やコメンテーター、本木雅弘さんは俳優として、それぞれ別の道で活躍しています。ちなみに 、昭和の時代をシニカルに歌ったMr.Childrenの楽曲「デルモ」では、“水泳大会のおりも政夫”という歌詞が出てくるんですよ(笑)。「世界に嵐を巻き起こす」ようにと名付けられ、1999年にデビューしたジャニーズ事務所所属の5人組アイドルグループ「嵐」。「初代ジャニーズ」「元祖ジャニーズ」と呼ばれるジャニーズグループの原点。その人気は絶大で、経済誌などでも取り上げられ社会現象化しました。ジャニーズ帝国の原点が草野球であったこと、50年もの歴史があることにも驚きです。それだけに、1年後には変声期で高いキーが出なくなり、あっけなく解散(笑)。この頃から追っかけが増え、芸能界でも女優の大島さと子さん、森公美子さん、放送作家の山田美保子さんも、ファンであったことを公言しています。「Hey!