沖縄民謡の代表的な曲『安里屋ユンタ』。三線を使って最初に練習する曲が『安里屋ユンタ』だったという人も多いと思います。最初に竹富島で歌われていた『安里屋ユンタ』と、現在一般的に知られている三線を使った『安里屋ユンタ』では大きく違いがあります。 『安里屋ユンタ』は、上述の19番までの歌詞が示すように、安里屋クヤマを主人公とした物語ではなく、主人公はむしろクヤマに袖にされた目差主なのです。 ... ~ 竹富島ウェブログ ~ : 安里屋ユンタ 夏川りみの「安里屋ユンタ」歌詞ページです。作詞:星克,作曲:宮良長包。(歌いだし)サー君は野中のいばらの 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 現在は、伝統的な安里屋ユンタに対してこのバージョンを「新・安里屋ユンタ」と呼んで区別することがある。 後年、多くの歌手が「安里屋ユンタ」と題するカバー曲を発表しているが、これらは大半が新・安里屋ユンタの歌詞を用いている。 なお、安里屋ユンタの本家である竹富島では、安里屋ユンタは(あさとやユンタ)と云い、濁音は付けない。これは、クヤマの生家である安里家の屋号はアサッティヤと呼ばれているためである。 … 夏川りみの「安里屋ユンタ」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)サー君は野中のいばらの 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 そんな、安里屋ユンタですが、実は安里屋ユンタは八重山地方の竹富島に伝わる唄が元歌だということを知る方は、結構な民謡通だと思います。1934年と言うから戦前に星克氏作詞、宮良長包氏作曲により標準語でレコード化され、八重山に伝わる安里屋ユンタが琉球だけでは無く、日本中で知られることとなったのです。三線の世界では、この新しく編曲された安里屋ユンタを新安里屋ユンタと「新」を付けて区別しています。数えたらキリがないぐらい、安里屋ユンタをカバーする唄者はおりますが、そ … 夏川りみの「安里屋ユンタ」歌詞ページです。作詞:星克,作曲:宮良長包。(歌いだし)サー君は野中のいばらの 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。
『安里屋節』は、『安里屋ユンタ』を元に、節と伴奏を加えたものです。いざ祝杯をあげようとすると、イシケーマの作法が正しく、お酌の仕方も上品であった。『安里屋ユンタ』についてはこちらの記事で書いてあるので参考にしてください。より一般大衆に支持されるように変化してきたということでしょうか。そして最後は、子どもの誕生を願う気持ちを込めて『安里屋ユンタ』の終幕となっています。この目差主というのが、当時、人頭税などを扱う役人であったため、ふつうであったら庶民であるクヤマは断ることができません。それまで庶民の労働歌でしたが、そこの部分が減ったため、曲調もゆったりとしたものに変わります。1934年に本土の言葉で作られた『安里屋ユンタ』で『新安里屋ユンタ』とも言います。あまりの嬉しさに、イシケーマを抱きしめ、地面につかないように抱き上げて走って帰ります。それまでのクヤマと目差主との話ではなく、田園での男女の恋の物語が歌になっています。桐谷健太(浦島太郎)のCMで有名になった『海の声』三線初心者にちょうどい...5番からは、クヤマに振られた目差主が、クヤマを見返すために、クヤマよりも美人の女性を探しまわる歌になります。かなり長くなりましたが、ここまでが最初の『安里屋ユンタ』になります。でも、『安里屋ユンタ』の由来と歌詞がどうもかみ合っていないのがずっと気になっていました。現代の『安里屋ユンタ』は、本土の言葉としてレコードになりました。これ以降も、『サーユイユイ』や『マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ』が入りますが省略します。それぞれ歌う地域によっても歌詞が違うのですが、おおよそ内容は同じようなものになっています。八重島諸島の竹富島の安里屋という農家にクヤマという美しい女性がいた。目差主という役人に見初められ、村の親とも言われる与人役人も気に入っていた。村の中を走り回っているうちに、目差主は、クヤマを越える美人に出会います。クヤマは、目差主は嫌いだと断り、与人役人の元へ奉公に行きます。三線を使って初めて練習をしたのが『安里屋ユンタ』だったという人も多いと思います。ただここでいう『安里屋ユンタ』は、八重山諸島の竹富島で最初に歌われていたものとは変化しています。美しいイシケーマに出会った目差主は、すぐにイシケーマの両親に会いに行きます!最初の『安里屋ユンタ』は労働歌として庶民によって歌われていました。つまりお役人だった目差主はクヤマに振られてしまったということですね。目差主はクヤマよりも美人のイシケーマという女性に出会うことができました。 松本克樹 3,658 views 7:33 【ギタリストによる三線解説】【初心者向け】安里屋ユンタの弾き方 工工四の読み方 - Duration: 7:33. 「サー 君は野中のいばらの花か サーユイユイ」 の歌い出しで知られる「安里屋ユンタ」は沖縄全域に渡りもっとも知られている歌のひとつ。那覇空港と首里を結ぶ沖縄県内唯一のモノレール「ゆいレール」の車内でも「安里駅」到着時のメロディーに使われています。そのむかし、「チンダラカヌシャマヨ」が「死んだら神様よ」と読み替えられたことで一躍有名となったこの歌は、沖縄にいらっしゃればどこかで耳にする機会のある歌であり、沖縄にいらしたことがない方でもメロディーを聞けば、「あぁ … 対して、新安里屋ユンタはというと、目差主やクヤマが登場することもなく、終始、男女の恋心が歌われています。ほぼ日本語で歌われるので、意味も理解しやすいのではと思います。元歌である「安里屋ユンタ」は、八重山の竹富島に住む島一番の美人であるクヤマという実在した女性(1722年~ 1799年)に、目差主(役人)が現地妻の申し込みをしたが、クヤマはそれを断ったのだと言います。余談になりますが、八重山民謡の第一人者である大工哲弘先生の安里屋ユンタはおススメです。画像は、竹富島にある、安里屋ユンタの主人公であるクヤマの生家だということです。竹富島の名物、水牛車は必ずこの前を通るほどの観光スポットになっています。数えたらキリがないぐらい、安里屋ユンタをカバーする唄者はおりますが、そのほとんどが新安里屋ユンタで、八重山の安里屋ユンタを唄う方は少ないです。三線の世界では、この新しく編曲された安里屋ユンタを新安里屋ユンタと「新」を付けて区別しています。両方の安里屋ユンタに出てくる、「サーユイユイ」と「マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨ」ですが、宮絃会でも、新安里屋ユンタは初心者の方はもちろん、折に触れて演奏することが多い唄の一つです。簡単な初心者用の曲なんだ、と言えばそうでも無くて、三線の基本が詰まっている、上手な方と初心者の演奏の違いが良く判る唄でもあります。ということで「かわいい愛しい人よ、またあいましょう」見たいな掛け合いが繰り返されている感じです。当時、庶民が役人に従わないことなど考えられなかったということで、八重山の人たちの誇りとしてクヤマは立派だ、という言い伝えが唄にまでなったということです。「ユンタ」と言うのは、八重山地方の言葉で、男女が交互に唄う掛け合い唄のことをいい、元々は田畑での作業中に歌われて来た伴奏無しの労働歌、様々に形を変えて後世に伝わったと言うのは想像がつきます。八重山民謡も宮古民謡にも、お役人に対する反感の唄と言うのは沢山存在するわけで、安里屋ユンタもそんな唄の一つだということでしょう。1934年と言うから戦前に星克氏作詞、宮良長包氏作曲により標準語でレコード化され、八重山に伝わる安里屋ユンタが琉球だけでは無く、日本中で知られることとなったのです。ところが、結局一緒になった、とか、もっと位の高い人が良いと断った、幾つかの言い伝えがあって正解はこれだと言い切れないのは他の唄と同じです。実際にこのページをご覧になっている方は、沖縄が大好きな人、琉球の民謡が好きな人、これから三線を習おうと思っている人、そんな方々が「サーユイユイ」を耳にしたことが無いことはないと思うのですが如何でしょう?とは言うものの、今の時代はネットを探せばいくらでも出てくるので、是非聴き比べなどして見て下さい。難しい指使いも無く、シンプルに工工四を追いかければおなじみのメロディを奏でることができ、難しい方言も無いので、歌いやすく、間違いなくこれから三線を始める方にピッタリな唄でしょう。馴染みやすい歌持ち、「サーユイユイ」のお囃子でお馴染みの安里屋ユンタ。そんな、安里屋ユンタですが、実は安里屋ユンタは八重山地方の竹富島に伝わる唄が元歌だということを知る方は、結構な民謡通だと思います。三線の伴奏無しで唄われることも多い八重山の安里屋ユンタは味わい深く、個人的に好きなのは、八重山の安里屋ユンタですね。 「安里屋ユンタ」は、沖縄県八重山諸島の伝統的な民謡です。「安里屋」は、「あさどや」と読み、琉球王国時代に実在した美女「安里屋クヤマ」のことです。 ユンタは、「結歌」が訛ったもので、何人かで農作業などをするときに斉唱する歌のことです。現在は
新安里屋ゆんた しんあさどやゆんた 語句・しん 「新」をつけるのは八重山民謡としての「安里屋ゆんた」などと区別するためである。 ・あさどや 元歌の「安里屋ゆんた」で最初に歌われる女性の屋号が「安里屋」だったことから。 その名は「クヤマ」(1722ー1799年)で竹富島に実在したと …