2.3K likes. 「焼肉 牛の涎(よだれ)」(中野区中野5、TEL 03-6454-0600)が7月15日、中野駅北口の中野ブロードウェイ南側入り口近くの「狸小路(たぬきこうじ)」にオープンした。「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた母が命名。家族の新しいかたちとして、ストリート・カルチャーのオルタナティブな生活実践として、当時注目を浴び、メディアでもたびたび取り上げられたという。母はどうしてたった一人でこの「家族」を始めたのか。20年の時を経て、おぼろげだった加納監督の「家族のカタチ」が見え始めた――。中野経済新聞に掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。著作権は中野経済新聞またはその情報提供者に属します。共同保育のドキュメンタリー映画「沈没家族 劇場版」が4月、東中野の映画館「ポレポレ東中野」(中野区東中野4)で上映される。沼袋小学校跡(中野区沼袋3)に7月12日、釣り堀「みんなのぬまぼり」が期間限定オープンした。Copyright 2020 Kikyo ICT Partners Inc. All rights reserved.山崎記念中野区立歴史民俗資料館(通称=れきみん、中野区江古田4、TEL 03-3319-9221)で7月14日、コーナー展「オリンピック展」が始まった。1995年、シングルマザーだった加納監督の母である加納穂子さん(当時23歳)が、加納監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という母の考えのもと集まったのは、独身男性や幼い子を抱えた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東中野のアパートでの共同保育が始まった。「女の子の心と体を応援するファッションブランド」をコンセプトとしたアパレルブランド「Twin ange(ツイン・アンジュ)」が中野通り沿いに直営店(中野区新井2)をオープンして1カ月がたった。中野セントラルパーク(中野区中野4)地下1階カンファレンスで8月15日・16日、「中野駅前大盆踊り大会」が開催される。沼袋小学校跡で釣り堀「ぬまぼり」 コロナ禍で開催遅れるも対策施しスタートかつて東中野に存在し、さまざまな若者が一つの家に寄り合って子育てに奮闘した実践的共同保育のドキュメンタリー。PFFアワード2017で審査員特別賞、京都国際学生映画祭2017では観客賞、実写部門グランプリを獲得。加納土(つち)監督が武蔵大学在学中の卒業制作として発表した作品を劇場版に再編集した。音楽は八丈島出身のバンド「MONO NO AWARE」が担当し、同作のために書き下ろした楽曲「A・I・A・O・U」を提供している。 映画『沈没家族 劇場版』. 2.3K likes. 沈没ハウスのお膝元、ポレポレ東中野での上映は、4月26日(金)まで12:30~、17:00~、21:00~の1日3回。4月27日(土)~5月10日(金)までは、21:00~レイトショーでの上映となります。その他の上映も続々決定しています。詳しくは、公式ホームページをご確認ください。 ポレポレ東中野で映画「沈没家族」 かつて東中野にあった共同保育のドキュメンタリー 映画「沈没家族 劇場版」より ©おじゃりやれフィルム 共同保育のドキュメンタリー映画「沈没家族 劇場版」が4月、東中野の映画館「ポレポレ東中野」(中野区東中野4)で上映される。 概要. 共同保育に入っていた人たちは、子どもという生き物の世話をおもしろがってやっていたのが当時の保育ノートを見るとわかりますね。子どものケアをすることを「義務」や「責任」でやってしまうと、とたんに苦しくなるのではないかと。自分に与えられた環境が沈没ハウスだったので、その「自由と多様性」にいるうちはいいのですが、小学校に入って「規律性・集団性」にはギャップはありましたね。それでも適応しようとしていました。とてもまじめな子だったんです。でも、あるとき行かなくなって1か月ぐらい休みました。家にいれば誰かいたし「学校なんて行きたくなければ行かなくていいよ」という人たちだったんで、それはよかったのかも。映画でも描いた沈没ハウスがある東中野を出て八丈島に行くころ、穂子さんのなかでも息苦しくなったのは、穂子さん自身に(周りが)依存し始めたこと。メディアに注目されるなかで、日々楽しく生きるためにやっていた共同保育が、運動やムーブメントのように捉えられ、何かのゴールがあるようにおもわれ、めんどくさくなったというのもあるのかと。そのままダラダラと沈没家族を続けず、八丈島にいってまた新しいつながりを作っていったのは穂子さんらしい。大学生になった加納さんは、自身が育った「沈没家族」、そして家族とは何なのかとの思いから、かつて一緒に生活した人たちをたどる。母の思い、そして不在だった父の姿を追いかける中で、家族の形を見つめなおしていく。加納監督が武蔵大学在学中の卒業制作として発表したドキュメンタリー映画を劇場版として再編集等を施して公開されている。それも行き過ぎるとカリスマ的な存在に依存するようになってよくないんだけど、そういう懐かしい感じがした。60年代の終わりやヒッピームーブメントのころ、思想をもった女優さんたちいたなぁと。穂子さんのような人によく絡まれたなぁと(笑)。言っていることがあまりにも正しすぎて、正しすぎるというか。でも今おもえば正しい方がいいな、とおもうのだけど。1994年生まれ、神奈川県出身。武蔵大学社会学部メディア社会学科の卒業制作として本作を2015年から撮影を始め、完成した作品はPFF等の映画祭で評価された。卒業後はテレビ番組会社に入社し、ドキュメンタリーや情報番組の制作に従事しながら、本作の「劇場版」の公開に踏み切った。本作が初監督作品。◆監督・加納 土(かのう・つち)×宣伝・加瀬 修一(かせ・しゅういち)×聞き手・野田 香織(のだ・かおり)この映画を初めて観たとき、沈没家族をつくった母・穂子さんの強烈なパワーと、新しい取り組みをおもしろがって担っていたヒッピーな人たちに圧倒され、また父親としての尊厳をどうにか守ろうとする父・山くんと、監督であるツチくんとのガチなやりとりに、途中息が苦しくなる場面がありました。作品って「入れもの」みたいなもので、実人生のつらいことも作品にしてしまえば救われるっていうのもあるんですよね。なんかわかるなぁ。自分も劇団からはじめてテント芝居やって、いわば非社会なんですよね。テントのなかは治外法権。家族や国が決めたこと、与えられたものに則ってやるというより、自分たちでつくるルールが大事、みたいな。1990年代半ばに共同保育で幼少期を送った加納土監督が、自身の生まれ育った場所での生活を振り返るドキュメンタリー。加納さんの母親はシングルマザーのため、自分が家にいない間、幼い息子を代わりに保育してくれる人を募集。彼女が撒いたビラを見て集まった大人たちによって共同保育がスタートした。子どもたちの面倒を見ながら共同生活を送る保育人たち。当時ある政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子さんが、この共同生活を「沈没家族」と名づけた。佐野史郎さんは、20年前、沈没家族を追ったドキュメンタリー番組のナレーションを担当しました。映画宣伝・企画・制作contrail代表/加瀬 修一(かせ・しゅういち)ただ、穂子さんやツチくんや、沈没ハウスの人たちを「特別な存在にしてはいけない」ということだけは強く感じました。古臭いし、まったく洗練されていないけれど、わたしたちが向かうべき未来は、ここにあるのではないかとおもっています。ドキュメンタリー映画ではあるのですが、自分が生まれ育った環境に落とし前をつけようとかはなくて、ポジティブに自分を育てた周りの人はどんな風に感じていたのかを知りたくてつくった作品。自分のように血のつながりがあってもなくても育ててもらって、今実際こういう風に生きています、と。共に沈没ハウスで育てられた“めぐ”が映画のなかで「これも悪くないよね」と言っていることが、この映画での問いかけなのかなと。観ている人によっていろんな感じとりかたがあるので、何度でも観てほしいですね。トークイベント終了後、この映画の創り手である監督と、届け手でもあるPR担当の加瀬さんとも、作品を通しての思いを聞かせていただきました。◆監督・加納 土(かのう・つち)× 俳優・佐野 史郎(さの・しろう)1974年兵庫県生まれ。短大卒業後、印刷会社でグラフィックデザインの仕事に携わり、不動産広告やCIなどを担当。2006年からマドレボニータに参画、人生賭けて挑みたいテーマを見つける。2009年にNPO法人ETIC.に参画。社会起業家のスタートアップ支援に携わり、求人メディア「DRIVEキャリア」の運営も担当。同じシングルマザーでありながら、まだそこに至れていない自分と、親と子の葛藤にまだ正面から向き合う勇気が持てない自分がいるんだとおもいます。 1995年当時23歳の加納穂子は東京綜合写真専門学校 で知り合った男性との間に一子のあるシングルマザーだった。. 東京のポレポレ東中野の上映スケジュールや交通アクセス、鑑賞料金の割引情報をご紹介しています。クチコミも募集しており、リアルな意見も見ることができます。ジョルダン乗換案内と連携した映画館までの行き方検索もサポート。 日頃よりポレポレ東中野をご利用くださり、誠にありがとうございます。 当館は近日中に営業を再開します。営業中は新型コロナウィルス感染防止と共に、お客様に少しでも安心して映画をご鑑賞していただけるための環境づくりに努めてまいります。