カテゴリ「アガサ・クリスティ原作のテレビドラマ ... 大女優殺人事件〜鏡は横にひび割れ ... パディントン発4時50分〜寝台特急殺人事件〜 み. 3月25日夜9時からテレビ朝日で放送されるスペシャルドラマ「大女優殺人事件」。ひと言で言ってしまえば「クリスティーは人間性を巧みに描く作家だ」、「ある人物の性格が事件の引き金になっている点が、クリスティーらしい」という感想がそこを的確に表現しています。今回と同じ「大女優殺人事件」のタイトルで日本テレビ「火曜ドラマゴールド」枠、岸恵子さんが主演でした。「鏡は横にひび割れて」は1962年に刊行された作品でミス・マープルシリーズの長編第8作目にあたります。そして作品のタイトル「鏡は横にひび割れて」はアルフレッド・テニスンの詩『シャーロット姫』の一節に由来し、小説の中の決定的な場面で登場するのです。ネットに投稿されているレビューを読み解くとアガサ・クリスティー作品の特徴や作品「鏡は横にひび割れて」の見どころ読みどころが理解できます。登場するミス・マープルは架空の老女で、アガサ・クリスティーの作品ではエルキュール・ポアロと並ぶ名探偵です。スペシャルドラマ「大女優殺人事件」の原作はアガサ・クリスティーの「鏡は横にひび割れて」でした。実はアガサ・クリスティーの「鏡は横にひび割れて」は2007年1月に日本で既にドラマ化されていました。 一方バントリー夫人と旧知の仲のミス・マープルは、そうしたライフスタイルの違いを特に気にしている様子はありません。結婚に対する意見もごく普通に言い合っていますし、相手と自分の違いを自然なこととして受け入れていることが伝わってきます。二人の違いが分かりやすく表されているのは、ゴシントン・ホールの元住人であるバントリー夫人への態度でしょう。彼女は殺意を抱くのとほぼ同時に、速やかに殺害を実行してしまいました。新型コロナウィルスの感染拡大で、ソーシャルディスタンスや外出の自粛など、感染症の予防に注目が集まっている現在において、この事件の動機は物語の中だけのこととはとても思えない恐ろしさがありました。「時代の変化」「女性としての幸せ」「自身の老い」など、身近なテーマが盛り込まれていますので、ミステリ小説をあまり読んだことがないという人でも楽しめる名作だと思います。事件の推理を進めるうちに、持ち前の好奇心と行動力が顔を出してきて、調子を取り戻してくるミス・マープル。終盤では、それまで我慢して言うことを聞くようにしていた付き添い人のミス・ナイトにも堂々とした態度をとれるようになっています。事件の直後、バドコック夫人が飲んだカクテルに致死量の鎮静剤が混入されていたとわかります。しかもバドコック夫人が飲んだのはマリーナのカクテルだったことから、「バドコック夫人はマリーナの身代わりになってしまった」という推理がごく自然に展開されていくのです。その動機とは、十数年前に重い障がいを持って誕生したマリーナの実子に関わるもの。障がいの原因は妊娠初期に風疹に罹患したことでしたが、どこで風疹に感染してしまったのかは結局わからないまま時が経ち、ゴシントン・ホールでの慈善パーティーの日を迎えます。・アガサ・クリスティー完全攻略 決定版(霜月蒼/ハヤカワクリスティー文庫/2018年)そこに現れたのがバドコック夫人でした。彼女はまさにマリーナの妊娠初期に、風疹を隠してイベントにかけつけ、話をしてサインまでもらっていたのです。当時のエピソードを武勇伝のごとく語るバドコック夫人に、ずっと仮面をかぶってきたマリーナのタガが外れてしまいます。今回で言うと、美容院で古雑誌を借りるというのがそれでした。マリーナの過去をよく知るために、映画関連誌をすみずみまで読んで研究し、知識の穴埋めをしたのです。ある意味アクティブですし、その好奇心はすごいですよね。・鏡は横にひび割れて(山本やよい 訳/ハヤカワクリスティー文庫/2004年版)マリーナは自分のカクテルに薬を混ぜてバドコック夫人に渡しているので、犯行は容易に行えたという説明です。自身の軽率な行動が他者の人生を大きく変え、それが時を経て自分への刃となって返ってくるという連鎖。ちなみにミス・マープルが事件現場のゴシントン・ホールに足を踏み入れるのは、クライマックスで推理を披露するシーンのみです。時代も変わり、理解しがたいことも増えてきました。そこに起こったのがこの殺人事件。ミス・マープルの探偵としての力量に一目置いている面々が続々と情報をもたらし、ミス・マープルに発破をかけます。ミス・マープルも序盤ではそのような推理をしているので、読者もすっかり騙されてしまいます。そもそもヘザー・バドコックを殺したいほど憎んでいる人間も見当たらないということで、動機がなければ推理のしようがありません。事件の現場にも行けず、自身で聞き込みなども行えないという縛りがあるミス・マープル。推理を進める中で、どうしても情報が足りなくなってくるのですが、そこは創意工夫で乗り越えます。バントリー夫人は4人の子どもと9人の孫に恵まれた女性です。作中でバントリー夫人が家族の話をしたとき、マリーナの手が震えるという描写が登場します。自分の求める幸せを手に入れてきた女性を前に動揺してしまったためでしょう。この作品は、安楽椅子探偵の代表格であるミス・マープルの本領が発揮された作品です。シリーズのほかの作品では、現場に乗り込んでいくパターンも多いミス・マープル。ここからは、本作に関する考察を含めた感想を述べていきたいと思います。自分自身からかけ離れた理想を追い求めて不幸な気持ちになっていくのか、それとも自分の人生のカードを使って楽しんで生きていくのか。この作品を読みながら自分自身の在り方を思いがけず深く考えてしまいました。私自身、ミス・マープルシリーズの作品の中でも大好きな作品で、これまで小説やドラマで何度も繰り返し楽しんできました。※物語の人物名や固有名詞の表記は、「鏡は横にひび割れて(山本やよい 訳/ハヤカワクリスティー文庫/2004年版)」を参考にしました。そんな女性たちの中でも特に注目したいのが、大女優マリーナ・グレッグとわれらがミス・マープル。その人生に対するスタンスを比較してみると、女性として、また一人の人間としての大きな違いに気がつきます。しかし、マリーナが狙われていたということになると、話は違ってきます。スキャンダラスな人生を送ってきた大女優ですから、当然動機を持つであろう容疑者も大勢見つかります。ここで複数の登場人物が事件に絡んでくる形になり、複雑な様相を呈してくるのです。一方のミス・マープルは、結婚自体を一度もしたことがありません。自身でも言っていますがいわゆるオールドミス。しかし夫や子供という存在がないことで卑屈になることもありませんし、誰かがいないと寂しいという感じでもありません。むしろ住み込みで付き添っているミス・ナイトを疎ましく思っているほど。自身の生き方や暮らし方に自信を持っているのが感じ取れます。ちなみにマリーナが見ていた絵はジャコモ・ベリーニの「ほほえむマドンナ」。子を抱く幸福そうな母を描いた宗教画でした。その絵を実際に見たミス・マープルは、マリーナの殺意を確信するのです。バントリー夫人には何の罪もありませんが、自分の人生を受け入れ切れていないマリーナの複雑な心情が現れている場面です。元々は極めてシンプルな犯罪でありながら、そのミスリードによる膨らませ方は本当に見事。容疑者として浮かぶ人物のそれぞれのエピソードもドラマ性が高く、読んでいて引き込まれます。しかし、ミス・マープルによれば「今時の人は人前でも平気で飲み物に薬を入れて飲む」らしく、自分の飲み物に薬を入れている様子を見ても誰も気に留めないとのこと。しかし、本作では住み込みの付き添い人の干渉などもあり、なかなかアクティブには動けません。主にバントリー夫人や通いのお手伝いさんチェリーなどがもたらす情報と、経験値を活かして推理を進めていきます。結婚して子供や孫に恵まれた人、結婚しても子どものいない人、結婚自体をしていない人。この物語に登場する女性たちは、その年齢もライフスタイルも実にバラエティに富んでいます。ところが、結末でこうした推理の前提がきれいにひっくり返されます。マリーナが見ていたのは「絵」であり、ヘザー・バドコックを殺したいほど憎んでいる人間は存在していました。致死量の薬を混ぜているのに誰も変に思わないなんてそんなバカな!と思ってしまいましたが、作中に何度も登場するジェネレーションギャップの描写すらも伏線になっているという点が、非常におもしろいと感じました。・ミステリ・ハンドブック アガサ・クリスティー(ディック・ライリー パム・マカリスター 編/森 英俊 監訳/原書房/2010年)だから真相がわかったあとも「これまでの話は一体なんだったの!」とはなりません。それぞれのエピソードにも犯行の背景につながる伏線が盛り込まれており、ストーリーにも一体感が生まれています。『鏡は横にひび割れて』はミステリ小説としてのエンタメ性を備えながら、人生についても深く考えさせられる作品です。ミス・マープルは終始この表情の真意にこだわり続けます。警察による容疑者の絞り込みもまた、彼女が「誰」を見てそんな表情をしていたのかという観点で進められていきます。