「ぼくらの」って漫画評判ええやんけ(ワクワク)→読破した結果・・・・・(画像あり) 1: 2016/05/14(土) 14:52:33.70 なんやこれは… どうして漫画でこんな苦しい思いしなきゃいけないんですか(半ギレ) 2: 2016/05/14(土) 14:53:20.21 でも、よかったでし ぼくらのは、2007年に放送されたテレビアニメ。鬼頭莫宏さんの漫画作品「ぼくらの」が原作のロボットアニメになります。 本作は一般的なロボット作品とは一線を画す内容で、非常に残酷な設定が特徴 … 節子、それぼくらのやない、ヤクザのや。 18 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/13(木) 04:11:28.336 ID:A0P3xrsy0.net アニメの方見てなかったから

敵ロボットとの初戦。1人目の操縦者・和久は辛くも勝利したものの、戦闘終了直後にロボット上から転落死した。そして迎えた2回目の戦い。新たな操縦者・小高は、自分の父親を戦闘の巻き添えで死なせてしまった。一代で財産を築き“選ばれた人間”であるはずの父が、呆気なく死んだことに動揺を隠せない小高だが、それでも敵の猛攻は容赦なく続く。次なるパイロットに選ばれたキリエは、チズが死亡した戦闘の4日後、彼女が復讐を望んでいた男・畑飼を呼び出していた。かつて自分に相談を持ちかけたチズの無念を想い、彼女を弄んだ畑飼の真意を探ろうとするキリエだったが、畑飼はいっこうに悪びれる様子もなく、得々と持論を語り始めた挙げ句「俺と友達になろう」と言ってきて…?敵の攻撃を受け危機一髪のアンコ(往住愛子)を目の前にしても、冷静に自らの職務であるTV中継を続ける彼女の父親。その態度にマチやカンジは怒りを顕わにするが、一方で迫真の中継によって、日本中からアンコへの声援が聞こえ始めた。皮肉にも、憧れだったアイドルのように日本中から注目される存在となったアンコだが…!?妹のカナが黙ってパイロットになる契約をしていたことに怒り、いつものようにカナに暴力を振るおうとするウシロ。だが、自分と血の繋がりがないことを知りながら、すべてを受け止めてきたカナを想い、思いとどまる。一方ジアースの中では、カナを契約させたことについて、マチが声を荒げてコエムシに詰め寄っていたが…!?ぼくらの地球を守るために、残された戦いは2回。妹の、そして母の戦いを目の当たりにし、ウシロは迷うことなくパイロット契約を結んだ。また、違う地球の人間であるため、かつて契約者として認められなかったマチも再度儀式を敢行して…。ついにふたりとなってしまったウシロとマチは、これまで戦い死んでいった仲間たちの、身の回りの人々を巡る旅へ。それは、贖罪の旅なのか…! もし、そういう変更があったのだとしたならば、チズの姉の性格はライブ感で描いていて、ちょっとつじつま合わせのために修正したと考えれば説明は出来る。そして、四話はチズの回想になるのだけれど…解説しなくていいですか…?鬼頭先生がいつ結婚したのかとか良く知らないけれど、鬼頭先生の奥さんがそういう人で、ちょうどその頃に出会ったということを僕は想起してしまって、けれどもそれは邪推過ぎると思う。それはそれとして、チズは「人を殺すこと 人を守ることを 等価で考えるなんて、わたしってやっぱりダメなんだろうな。だから、お姉ちゃんには、かなわない。」と独白している。前回まででチズ編の2話まで、『ぼくらの』の単行本だと3巻までの解説が終わった。ただ、そんなことを僕が思い違いで記憶しているとはちょっと想定できないので、多分、そういう変更があったのだと思う。それでもヴァラノワールを見るくらいの苦痛ではあるのであって、今後僕にどんな些細なことを要求するにしても、それをするんならヴァラノワールを一周してきてからにしてください。この後、チズはフィッグに反撃しつつ、マチに「じゃあ、貴方は償えるの?」と聞く。丁度この頃から鬼頭先生の漫画から憑き物が取れるから、そのような人に出会って鬼頭先生の気持ちが安らぐようになったとかがあって、その影響下でそのような性格の人物が出てきたとか…なんですかね?それについて僕はあくまで個人的にそうなのではないかと考えているのだけれど、それを書いた後に、その挨拶回りについて言えば、鬼頭先生が元々予定になかったと言及しているそれに出会っている。おそらく、続く独白はモジのものだろうから、モジはいち早くチズの胎児が契約しているという可能性に気が付いたという話だと思う。色々どうしてこんな良く分からないほんわかした話を描いたのか考えてみたのだけれど、畑飼をSATUGAIしようとするチズに立ちはだかって思いとどまらせることに成功したチズの姉を実際描いてみて気に入って、その気に入ったキャラの掘り下げをしたくなったからあのエピソードを描いたということくらいしか思いつかない。僕らの価値観ではあのような場合はチズを憐れみ、畑飼に怒りを抱くのが良識と良心を持つ人の親であって、僕にはあの一家がモンスターであるようにしか思えない。鬼頭先生が何かを勘違いしているのか、マチがチズに発破をかけるというイベントをこなすために吐かせる台詞として他に表現がなかったからそう言わせたのかは分からないのだけれど、『ぼくらの』全体で何かを守ろうとして戦った人は割と少ない。マチとウシロのあだ名が学校の教科の中で特定できないという話は登場人物一覧の記事で言及したけれど、もしかしたら一回目のスロットには登録されていないから、2人のあだ名は学校の教科に関係がないのかもしれない。ヴァラノワールは教室のところが耐えがたい苦痛であって、それ以外は殆ど虚無だから大丈夫だってヘーキヘーキ。ちなみに、このセリフはIKKIに載っていた時は「あなたのこと、分かった」というそれだったらしい。話としては鬼頭先生はそう考えているで終わりなのだけれど、個人的に鬼頭先生の言う責任という語の意味がイマイチ分からないから、何を言っているのか分からない。例え存在していたとしても、僕らがそれを存在していると認識する方法はないのであって、最初に魂が存在すると言い出した人にしたって、それを知る方法はない。まぁ、『ぼくらの』の一連の描写は、ただひたすら抒情的で感傷的なそれであって、ただ悲嘆の末に出てきたセリフでしかないのだけれど。だとしたら普通にキリエが声をかけているのはそういう"事情"もあると思う。その直後、フィッグから攻撃を受けるけれどチズはなされるがままになる。受け取ったキリエの方は会って話してみようと後に考えたのだけれど、チズがキリエにナイフ渡してどうしたいのかとか一切ないからなぁ。なんつーか、鬼頭先生はチズの姉の性格が随分と気に入っているみたいだけれど、僕らが普通持っている倫理観というか、価値観とかけ離れていて、何処か異邦人というか宇宙人のように思えて、僕にはただ空気味悪い。チズはお腹に手を添えて、「おまえ、お姉ちゃんの子に生まれてくればよかったのに。」と言う。なんとなく言いたいことはふわふわと分かるのだけれど、厳密に説明しようとすると途端に分からなくなる。確か滑走キでそう書いてあるのを読んだのだけれど、今探してみて見つけられなかった。自分の妹があんなことされたというのに反省もない畑飼を許している時点で、人間として普通誰しもが持っている程度の家族への愛情すらもチズの姉は持っていないとしか僕には思えないし、両親にしてもチズのことを愛していないとしか考えられない。実際はどうだったか知らないし、鬼頭先生も覚えてないと思うけれど。どれくらい苦痛だったかと言うと、大体アニメの『学園都市ヴァラノワール』を一周するくらいの苦痛だった。あと、エピジェネティクス的な問題で、両親や祖父母の生育環境の影響が遺伝すると分かっているけれど、細かいことはまぁいい。チズは渡してどうするつもりだったのか分からないし、多分、鬼頭先生も深く考えてチズに渡させたわけではないと思う。ナカマにしても、やらなければならないこととしてユニフォームを作っていたわけであって、そのように何か為さねばならぬことが存在しているという発想をチズが持っていると考えて、それを果たせなかったのだから代わりの仕事とというか使命を果たすことによって何かを全うしようとして、フィッグを倒していると考えれば話は通る。そんな畑飼たちを尻目に、チズはフィッグを殴り倒すのだけれど、このシーンについては前回書いたために特に言及しない。個人的には問題が発生した時に払う賠償のことと、与えられた責務を全うすることの二つを意味すると考えているのだけれど、鬼頭先生は違う様子ではある。おそらくなのだけれど、鬼頭先生の頭の中に漠然と畑飼の殺害をチズは姉に止められたという物語が存在していて、それを実際に描くに際して色々チズの姉の性格描写をした結果、畑飼に良いようにされる人物とはかけ離れたそれになってしまったが故に、チズの姉の性格は『ぼくらの』本編のそれになってしまったのだと思う。この一連の描写について、『ぼくらの』本編では拾いきれていないというか、効果を発揮していない。そりゃ、マチがパイロットになったことが償いと言えるのかもしれないけれど、なんかしっくりこないというのが僕の印象になる。畑飼の言及を考えると、畑飼ですら蔑ろに出来なかったような人物としてチズの姉は描かれているのだと思う。翌日滑走キではなくて、「ぼくらの」のわからないところを解説してみるサイトの方にその事について書いてあるのを見つけた。ジアースの顔が書かれているページの7コマ目でモジの顔が描かれているのは、モジが頭の良いという設定で、あの時点でチズが何を言わんとしていたか理解していたからだと思う。その後、マチが駆け寄って戦えとチズに言い、皆が守ろうとした人たちを守りなさいよと哀願する。つまり、僕らの遺伝的な個性はその組み合わせおよび生じる突然変異のパターン以上の意味合いはなくて、そうである以上、双子やクローン以外において同じ遺伝情報を持っている個体は存在し得ない。自動車の盗難という犯罪に巻き込まれたのに、それを宗教的な理由や生まれついての先天的な脳の変異なくして意に介さない人間はもう人間ではない。そもそも、妊娠とは減数分裂をした卵子と精子が受精して子宮に着床したのちに胎盤が形成される現象のことでしかなくて、その個体は母親由来の遺伝子と父親由来の遺伝子を持っている。マチは皆が守ろうとしたもの云々言っているけれど、これまでの戦闘で何かを守ろうとしたのはダイチだけなんだよなぁ…。『ぼくらの』本編でのチズの姉としては「あなたのこと、分かった」より「チズと何があったか、ちゃんと聞かせて。」という台詞の方があっているので、そういう修正なのではないかと思う。僕自身、このエピソードが何のために存在しているのかさっぱり分からない。多分、ライブ感で色々描いてたら、辻褄が合わなくなってしまったんでしょうね…。僕らの脳はその遺伝情報と誕生後に得た知識によって成り立っているのであって、遺伝情報と生まれが違ったらそれはもう違う人になる。鬼頭先生的には魂は何となく存在する概念なのだろうけれど、魂という概念はただのミームでしかない。個人的にここで言っている償いというのは、マチによる畑飼の殺害のことなのではないかと考えている。なのにもかかわらず、鬼頭先生的には聖人君子である様で、とにかく理解が出来ないとしか言及しようがない。とにかく、チズの最後のエピソードについては何にも分からないのだけれど、個人的にチズの姉のキャラ掘り下げのためのエピソードだと思っていて、畑飼を庇うイベントをこなすために動かしたチズの姉のキャラクターを実際描いてみたら気に入っちゃって、それが故にライブ感でその姉のことを次の月に一話使って描いたというのが、諸々の事柄から導き出す僕の理解になる。それと、チズの姉はこの状況になったのはチズの選択が原因であって、責任はチズにあると考えている様子ではある。ただとにかく、畑飼をマチが殺すという話だったならば、少なくともチズとマチとの会話は効果を発揮することになるのは確かだと思う。この考え方についてのなのだけれど、これは『なるたる』でもその一端を確認することが出来る。鬼頭先生が幼少期に出会った価値体系の中にそういうものがあったのだろうとは思うのだけれど。自分が悪いからそうなったとか、自分の行いの結果今あるという発想を『なるたる』『ぼくらの』期の鬼頭先生はしている。チズに姉である自分も殺すと言われた時に、殺していい、受け止めてあげるからだなんて言わせてしまったがために、そんな人物が畑飼に良いようにされているのはそれはそれで矛盾なので、その矛盾を解消するために畑飼との関係性に変化が出てきてしまったと個人的に考えている。ただ、物語の配置としてはマチの後継であるウシロは確実に妹のために戦ったのだから、マチにそう言わせたということには意図はあるのだと思う。4巻はチズが姉と畑飼を目の前にしてあれこれするシーンから始まる。エピソード全体としては小学六年生のチズが家族と遊園地に行ったのだけれど父親がチケットとか安全祈願のお守りを忘れて、とりあえず入った飲食店で出会った男に車盗まれたけれど、聖人君子であるチズの姉と両親はそれを意に介さずに居て、チズだけがカッカしていたけれど、結果として姉と両親の行動が正解でしたと言う話で、特に『ぼくらの』本編と関係がない。分からないから解説はしないし、単体であのエピソードを考えても分かりづらいところが想定できない。僕は責任は誰かに対しての概念というか、対外的な概念だと考えているから、鬼頭先生が何を言っているのかさっぱり分からない。マチはそんなことに一切関係ないはずなのに、感極まったからかそんなことをチズに言っている。まぁイチジクを子宮だと鬼頭先生が思い込んでコアをつぶしてフィッグ戦は終わり。とりあえず、鬼頭先生の中には、人を守ること>人を殺すこと、という固定観念というか価値観が存在しているらしいということは分かる。このセリフについてなのだけれど、僕自身、素で何言ってるか分かんないから上手く説明できないんだよなぁ…。『ぼくらの』の描写を見る限り、鬼頭先生的にはどんなに酷い目にあってもその状況にいるのは無数にある選択の中で自分が選んできた結果であって、それが故にその責任は自分で負うべきだという意見が正しいらしい。鬼頭先生的にはこのチズの姉の性格は聖人君子のそれであるという認識が読み取れる。無粋なことを書くけれど、チズの胎児が姉の子として生まれることはあり得ない。その果てに物語が結局軽く破綻してたら世話はないけれど。(前回の解説参照)というかそもそも、責任という語の定義が曖昧過ぎてね、僕は責任という語の意味を理解していない。確実に何かを守るために戦ったと言及できるパイロットはダイチ、マキ、キリエ、ウシロだけになる。チズの姉については結構ライブ感で描いてるのではないかという疑念がある。どうしてこんな異邦人が突然出てくることになったのかは良く分からないけれど、もしかしたら鬼頭先生があのような性格の人に出会ったのかもしれない。加えて、鬼頭先生の価値観の中に義務感みたいなものがあって、人には使命があるとかそういう発想があるのかもしれない。一応以前、マチとウシロによる挨拶回りについて、予定変更があって元々は畑飼殺害行脚の予定が、差し替えられて『ぼくらの』本編でのパイロットの遺族への挨拶回りになったのではないかという内容の記事を書いている。アキラのセリフの方は若干ニュアンスが違うかもで、個人的にアキラの発言は鬱的な症状の発露だと思っているけれど。ということはバラモン教の聖典である『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』や、アメリカ大陸に到達したバイキングの物語である『グリーンランド人のサガ』を読むことよりは相対的に苦痛は少ないってことだな!チズは自分が畑飼に孕まされたことと、畑飼を殺そうとする意志を姉に伝えるのだけれど、姉に諭されてそれを断念することになる。知り得ないことを知っている人は、知ったかでそれを言っているか、嘘吐きか、詐欺師でしかないのであって、魂が存在していると人間が知る方法は存在しない。これは普通に、キリエが畑飼殺害イベントを起こすためのイベントアイテムですね。キリエは畑飼にそう言われて、その後に田中さんと話したのちに戦闘になるのだけれど、キリエは戦闘を放棄しようとして、その時に田中さんはこの結果を自分たち大人のせいだと言及している。この未契約者はマチとウシロであって、-2だけれど、代わりに契約していないと思われていたカナが契約しているので数はあっている。とりあえず、本田一家の車を盗んだ男は、チズがチケットを忘れてガッカリしていたことを受けて、盗んだ本田さんの車で本田さんちまで行って、チケット取ってきて途中で事故って、それはチズが通報したからだということで、今度はおじさんにお守りを渡そう、と言って、最後にお姉ちゃん幸せになってで終わる。チズとマチがそんなやり取りをしている間、チズの姉と畑飼にこんなやりがある。諸々の描写や鬼頭先生の精神状態、過去の作品の描写と『ぼくらの』後半以降の作品等々を鑑みて、おそらく、当初は畑飼をマチによって殺害させようとしていたのだろうという内容になる。とりあえず現在の段階で、挨拶回りは本来なかったということまでは確かなのだけれど、じゃあ代わりに存在していたエピソードが畑飼SATSUGAI小旅行だったかどうかは定かではない。どうしてそういう結論に鬼頭先生が至っているのかが良く分からない。3ページ目のモジの表情は結局、自分がしようとしたナギの謀殺のことについて考えているのであって、もしかしたらチズを見て謀殺を断念したのかもしれない。僕はこの罪に対する罰という発想について、鬱病の哲学のおっさんのキルケゴールで見出すことが出来るから、個人的に鬱的な症状がそういう発想をもたらしているのではないかと考えている。その修正のために、チズの姉および家族はあの性格になったのだと思う。やたらにキリエがチズに話しかけているけれど、考えてみればチズと仲が良いのってキリエしか居ないんだよな。話としてはそれで良いのだけれど、鬼頭先生の中で独自の世界観が形成されてて共有できないんだよなぁ。基本的に全ての事象は自分の選択の末にあって、その責任は自身で負うべきということを正しいと考えている様子ではある。この二つを読んだときの苦痛を思い出して、「ヴァラノワールって面白かったんだな」ってあの日の僕は思ったよ。とにかく、チズの子がチズの姉の子として生まれることはどうやっても不可能になる。そして、その使命を果たすに際して、復讐できなかったから代わりにフィッグを人類のために倒すのだけれど、復讐のための殺害と、人類を守るための正義とを同じ尺度というか、同じ仕事量として扱っていて、鬼頭先生的には人類を守る方が重要な仕事だからこそ、復讐のための殺人と人類を守るということを等価に扱ったことについての自責がチズにある。