映画「めがね」の感想. (トップ画像引用:映画.com) 昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『パラサイト』。2020年1月10日の劇 ギテクは、理想的な「男らしさ」を体現できず、コンプレックスを抱えた弱者男性として描かれているように思います。(『JOKER』のアーサーや、『万引き家族』リリー・フランキーと同じ)きっと、地下室にずっと隠れていたあの男性も、同じ想いを抱えているのでしょう。2人が共鳴しているのは、「台湾カステラ」の件でも明らかです。昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『パラサイト』。2020年1月10日の劇場公開をずっと楽しみにしていました。主人公家族が登場するよりずっと前から、豪邸の地下で暮らしてきた家族も、パク家族のことを恨んでいません。裕福な彼らをうらやむことはあっても、恨む理由なんてどこにもないのです。ナイフを振るったあの瞬間、ギテクの中に生まれた憎しみは、彼と自分の間に存在する格差へ向けたものでした。(パク社長個人に恨みがあったわけではないので、ギテクは後から後悔し、パク社長に謝罪していますよね)パク家族のような、社会構造上「強者」に位置する人間に責任を負わせないところが、この映画と『JOKER』の違いだと思います。格差や差別の責任は、上にいる「強者」たちが負うものではなく、「強者」も「弱者」も包括した社会全体が追求していかなければいけません。「強者」に対して怒りをぶつけても、問題解決にはならない。それどころか、残りの人生を暗い地下で過ごす羽目になったギテクのように、社会の理不尽なシステムに負けてしまう可能性もあります。根本的な解決を目指すのであれば、システムからがらりと変えなければ。冒頭、一家全員でピザのボックス作りの内職をするシーンがあります。父のギテクは「箱を早く作る裏ワザ」動画を見ながら、楽しそうに作業を行っていました。しかし箱を取りに来たピザ屋の店員が言うには、「1/4は不良品」とのこと。少し前に映画監督のテリー・ギリアムがインタビューで、「白人男性ばかり悪者にされるなら、黒人のレズビアンになろうかな」みたいなことを言いましたよね。発言自体は最悪の差別的な内容ですが、「強者」個人に責任を求める物語が増えると、ギリアムのように思う人も増えるのではないでしょうか。主人公家族に「寄生」される富裕層一家は、悪意のない善良な人たちに見えます。それから『パラサイト』は、貧富の格差だけでなく、貧困層同士の関係性もしっかり描いています。アーサーは自分たちを虐げる「強者」を憎んで、自ら粛清した。ギテクは自分たちを貧困に落としたのが「社会」だと気付いている。ここには大きな差があると私は思います。一方『パラサイト』のラストでは、ギテクの行き場のない怒りが結果的に目の前の人間を攻撃してしまいます。「強者」であるパク社長個人はギテクに対して、直接加害したわけでも、貧困にさせたわけでもありません。気にしないふりして毎日過ごしているけれど、本当は「父親らしく」家族を満足に養えていない現状が苦しかったかもしれない。ギテクの不器用そうな手つきが脳裏によぎります。もしかしたら、彼が作った箱だけが不良品だったのでは?主人公家族の父・ギテクに対する「臭い」発言は……うっかり本人に伝わってしまったのが悲劇としか言いようがないですね。自分よりずっと恵まれた人間の無神経な言葉が、格差に対するギテクの怒りを爆発させるきっかけになってしまった。悪意がなかったからこそ、より悲劇です。『パラサイト』は、貧困を「個人」の問題ではなく、「社会」の問題として位置づけた作品だと思います。ああいう愚痴ってポロッと言ってしまう人は多いと思うんですが、「臭い」って人の尊厳を傷つける言葉ですよね……。使いどころを間違えないようにしたいですね。その点『パラサイト』は「貧困」をソーシャルな問題として広い視点で捉えています。物語の中で何度も登場する「上下」を強調した構図が象徴していますよね。階段の上と下、机の上と下、地上と地下……など、上にいる人間と下にいる人間の「格差」を、視覚的に印象づける演出はとても巧みだと思いました。実際、ポン・ジュノ監督もインタビューで「ギウがあの豪邸を買うまでに500年かかる」と言ってるそうです。悲劇の後、暗い地下室に閉じ込められてしまった父・ギテクを迎えに行く想像をし、大金を稼ぐために動き出す息子のギウ。でも、大学に行くことすらできなかった貧しいギウが、一体どうやったらあの大豪邸を購入できるのでしょうか。想像するだけで気が遠くなってしまいます。公開直後、アジア圏の作品としては異例のアカデミー賞6部門ノミネートが発表され、注目度はどんどん高まっています。つまり実質的に、彼が父親を助け出すことは、不可能。どんなに頑張ろうが、貧しい環境から抜け出す道がないという絶望で物語は終わります。2018年にパルムドールを受賞した、是枝裕和監督の『万引き家族』も貧困層を描いた作品でした。『万引き家族』はどちらかといえば、パーソナルな家族の物語です。主人公家族以外の「富裕層」も「他の貧困層」も登場しない。広い視点で見た「社会との関わり・関係性」はそこまでハッキリと描かれませんでした。また、完璧になりすましをこなす他の家族たちと比べて、ギテクだけはボロを出してしまうシーンが多かったように思いました。パク社長のプライベートを詮索するような発言をしたり、危うい運転をしたり、「臭い」と言われてしまう。「パク家族に寄生していたのは主人公家族だけではなかった」と後半で明らかになり、2つの家族が生活を維持するために争い合う。1つの豊かな家族の下に一体いくつの貧しい家族が存在し、余裕なくパイを奪い合っているのか。嫌でも想像させられる展開です。『パラサイト』は、ちっぽけな人間の前に立ちはだかった、あまりにも膨大な「社会」に対する絶望感を描いた映画だと思いました。鑑賞後はその途方もなさに呆然としてしまいますが、ポン・ジュノ監督は「真実」を真摯に見つめているんでしょうね……。『JOKER』主人公のアーサーがふるった暴力のきっかけとなったのは、電車の中のサラリーマンや、ウェイン、テレビ司会者などの「強者」たちが先にアーサーを加害したからです。先に手を出したのはあくまで「強者」側であり、アーサーの行為は復讐という扱いになります。そもそも暴力が生まれたのは「強者」のせい。そう受け取ることも可能な物語になっています。そんな『パラサイト』は、韓国社会の経済格差を、巧みな設定とストーリー展開で描き出した作品です。どうしてここまで世界的に評価されているのか、同じく「貧困」をテーマにした映画『JOKER』や『万引き家族』にも触れながら、私なりの考えをまとめます。自分が知らないうちに「悪者」にされてしまっているかのような……。一家の父であるパク社長は、不正をして金を稼いだり、浮気など不貞を働いたりしているわけではありません。貧しい人たちを見下すような差別主義者でもありません。(ただし、他人の立場に立って考える想像力はない)父であり男性であるからこそ、かかるプレッシャーが他の家族よりも大きく、その分苦しい気持ちも溜まっていた。だからこそギテクだけ爆発してしまったのではないでしょうか。たぶん、家族の中で彼だけあまり要領が良くないんでしょうね。それに性格も素直で幼いところがあり、あまり声を荒げない、父権的な父親像とは正反対の人物です。格差や差別を失くすために「強者」を責めたり攻撃すると、反発が生まれます。そういった人たちの反発心が強まり、社会問題解決への歩みが遅くなってしまうのは、避けたい事態だと思います。パク社長の妻や子供たちも、悪い人ではありません。主人公家族とパク社長一家の間に存在する「格差」の責任をとるべき人なんて、一人もいません。
それも非常に際立った個性。それがこの『めがね』という映画にはあるということになる。新しい映像だ、新しいスタイルだなどと宣伝される映画は山ほどあるが、ちょっとまてよ、この『めがね』こそ、真に新しい、他にはない絶対無二の個性なのではないのか? こういう作品こそ日本のほ� なので「めがね」も正直同じような映画かなと思ってて。 監督も同じだし、キャストも小林聡美、もたいまさこペアだったしね。 けど。 けどだよ。 この映画ねえ、良かったっす。 何が良かったか?って言われると難しいんだけど。 かもめほど間があるわけじゃなくて もっと絶妙なテンポな� かもめ食堂の萩上直子監督作品ということで「めがね」見てみました.