とぞ言ひ … ともかく、人称による意味の識別は簡易ですが、文脈によって考えることも大事です。 参考に、この文章の全文を下に記載しておきます。 昔、男わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、 つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思はざりしを あやしくものの恐ろしくおぼえければ、 笛を吹きながら見返りたる気色、取りかかるべくもおぼえざりければ、 4. 源氏物語「光る君誕生」(桐壺) 問題 いづれの御時にか、女御・更衣あまた ①候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。初めより我はと思ひあがり給へる御方々、めざましきものに、おとしめ、そねみ給ふ。 保昌は、はじめ何も言わず笛を吹いていたのに、嫌になって「こは何者ぞ」と声をかけ 何事かありけん:係り結び。けん=連体形 7. いなくなってしまうのは心が軽いからだと人は噂するかもしれない。人は二人の仲などよくは知らないのだから。忘れ草を植えて私を忘れたいと言うのですか。そう聞かされなければ、あなたが私を忘れずにいたとは知りませんでしたよ。といひてながめをり。この女いとひさしくありて。ねんじかねてにやあらん。かくいひをこしたり。そう言ったけれども、それぞれ別の連れ合いが出来て二人は疎遠になってしまった。私があなたのことを忘れたであろうと疑っているのですか。今もあなたを忘れられずに悲しみ、苦しんでいるのです。ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)「利口に」「要領よく」「上手い具合に」という意味ではない。「非常に」とか「はなはだしく」と訳せば良い。機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。思うかいもない仲だった。長い年月を無駄に契って過ごしたのだろうか。カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。昔男女。いとかしこう思ひかはして。ことごゝろなかりけるを。いかなることか有けむ。はかなきことにことづけて。よの中をうしと思ひて。いでていなんとて。かゝる歌なん物にかきつけゝり。「いとかしこく」この「かしこく」を『真名』では「賢」で当てているが、原義は「畏」に近い。上代では「かしこし」は「ゆゆし」に近い。出でていなば 心軽しと 云ひやせむ 世の有り様を 人は知らねばむかしおとこ女、いとかしこくおもひかはして、ことなかりけり。さるを、いかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、よの中をうしとおもひて、いでていなんとおもひて、かゝるうたをなんよみて、ものにかきつけける。わすれれ草 うふとだにきく ものならば おもひけりとは しりもしなまし人はいさ おもひやすらむ たまかづら おもかげにのみ いとどみえつつそう詠み置いて男は去ってしまった。女はこの書き置きを見て、怪しんで、心当たりもない、どういうわけでこんなことをいうのだろうと、たいへんに泣いて、どこを探そうかと、門を出て、あちこち見回したけれども、途方に暮れて家に帰って思ひ(ふ)かひ なきよなりけり とし月を あだにちぎりて われやすまひしあの人はもう私のことなどどうとも思ってないのかもしれないが、私にはあの人の面影がいつも見えてしかたない。いでていなば こころかるしと いひやせん よのありさまを 人はしらねば昔、たいへん強く愛し合った男女がいて、浮気などは思いもよらぬことだった。ところがどんなことがあったのだろうか、些細なことがきっかけで、二人の仲をつらいと思い、男はこんなふうな歌をものに書き付けたのである。あなたは私をもう忘れてしまおうと、忘れ草の種を心に蒔こうとするのかもしれない。でも、私は蒔かせたくはない。この女いとひさしくありて、ねんじわびてにやありけん、いひをこせたる。いまはとて わするる草の たねをだに 人の心に まかせずもがな中ぞらに たちゐるくもの あともなく 身のはかなくも なりにけるかなもしかすると業平が有常娘と仲違いしたという話かもしれない。業平には紀有常の娘との間に長男・棟梁があり、それ以外の女の間に、次男・在原滋春と、娘・在原美子が生まれている。「いでていなば心かろしと」云々、此出ていぬるは、女とはおしはからるれども、上の文のさま、女とも男とも分かりがたし。いささかなる事につけてといへる上に、女とあるべき文なり。さて此歌の次に、云々此女とあるは、心得ず。此女といふこと、ここにありては、聞えず。ここは男とあるべきところ也。かくのごとくまぎらはしきによりて、或人は、出ていにしは、女にあらず、男なりといへれども、すべてのさま、男の出ていにしとは聞えず。又男にしては、かの此女とあるは、よくかなへれども、下なる「人はいさ」の歌の次に此女いと久しう云々とある、此女てふこと、彼の男とあらではかなはず。わするらんと おもふ心の うたがひに ありしよりけに ものぞかなしきこの話、女が家出したと解釈するのが通説のようであるが、第19段などと関連すると考えれば、書き置きをして女のもとから離れたのは男のように思える(宣長もそのように解釈している)。だいたいこの時代男が女のところに通うのが普通であり、第27段のように明らかに女が家出するケースもあり、また第16段のように尼となって夫に付き従わないケース、第75段のように女が夫の任地についていかないケースなどがある。しかし本来女の家出は異様である。とよみて。をきて出ていにけり。この男かくかきをきたるをみて。心うかるべきこともおぼえぬを。何によりてならむ。いといたううちなきて。いづ方にもとめゆかんと。かどに出てとみかうみ見けれど。いづこをはかともおぼえざりければ。かへり入て。とよみおきていでていにけり。この女、かくかきおきたるを、けしう、心をくべき事もおぼえぬを、なにによりてか、かゝらむと、いといたうなきて、いづかたにもとめゆかむと、かどにいでて、とみ、かうみ、ゝけれど、いづくをはかりともおぼえざりければ、かへりいりて、仲違いした理由は特に書いてないのだが、他の段を参考にするに、おそらく男が女の浮気を疑ったためだろう。 [出典]:宇治拾遺物語 「笛を吹きながら見返りたる気色、取りかかるべくもおぼえざりければ、走り退きぬ。 [訳]:笛を吹きながら(袴垂のことを)振り返って見たその様子に、(袴垂は、その人に)襲いかかることができそうだとは思われなかったので、走って逃げてしまいました。 「用ありければ」は「必要があったので」ということ。 「まうく」は「用意する、準備する」の意味。 「ん」はここでは意志の助動詞だから「用意しよう、準備しよう」ということだが、主語が盗賊の袴垂なので、盗み取る/奪い取る、という手段を取るはず。

はべりぬ:完了の助動詞。現代の打ち消しの助動詞「ぬ」と同じ意味だと誤解してしまうので注意。 5. 笛を吹きながら見返りたるけしき、取りかかるべくもおぼえざりければ、走り退きぬ。 笛を吹きながら振り返った様子は、襲いかかることができそうにも思えなかったので、走り退いてしまった。 続きはこちら 宇治拾遺物語『保昌と袴垂』(2)品詞分解のみ

「つゆ~なし(打消し)」の訳は? すこしも~ない 5.

詣でけり:過去の助動詞。非常によく出るので覚えた方が便利。 4. 拝まざりければ:「けれ(已然形)+ば」=~ので(理由) 3. 参るこそ本意なれ:係り結び。なれ=已然形 8. 仁和寺にある法師 年寄るまで意味論を拝まざりければ 心憂くおぼえてあるとき思ひ立ちて ただひとり徒歩よりまうでけり NyaRuRu 2008-06-26 00:00 年寄るまで意味論を拝まざりければ とよみて。をきて出ていにけり。この男かくかきをきたるをみて。心うかるべきこともおぼえぬを。何によりてならむ。いといたううちなきて。いづ方にもとめゆかんと。かどに出てとみかうみ見けれど。いづこをはかともおぼえざりければ。かへり入て。 取りかかるべくもおぼえざりければ、走り退きぬ。 いみじきの意味を教えてください さるべき所々の意味を教えてください 着と得の動詞の活用は何形かそれぞれ教えてください なめりの文法的説明を教えて … 尊くこそおはしけれ:係り結び。けれ=已然形 6. 傍線部 a「いづ方へ行くべしともおぼえざりければ、」の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。 ① どこへ行こうとしていたか忘れてしまったので、 ② どの方角へ行けばよいのか忘れてしまったので、 1. 宇治拾遺物語『袴垂、保昌に会ふこと』 このテキストでは、宇治拾遺物語の中の『袴垂、保昌に会ふこと』でテストに出題されそうな問題をピックアップしていきます。 次の文章を読み、問いに答えよ 昔、袴垂とて、いみじき盗人の大将軍ありけり。 拝まざりければ:打ち消しの助動詞「ず」 2. さて、同輩に向かって、「長年思ってきたことをやりとげました。聞いていた以上に、尊くていらっしゃいました。それにしても、お参りしていた人がみな山へ登っていったのは、何があったのでしょうか。行ってみたかったのですが、神様にお参りすることこそ本来の目的なのだと思って、山までは見ませんでした。」と言った。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。「仁和寺にある法師」は、色々な重要事項が含まれていて、勉強するにはとてもよい教材です。余裕のある人は、暗記してしまいましょう。皆さんの健闘を祈ります。この法師はまじめに参拝しに行ったのです。それなのに、そのまじめさがあだになって、長年の願いをかなえることが出来なかったわけです。そんな法師を気の毒に思ったからこそ、作者は最後の一文を書いたのではないでしょうか。この話を笑い話と受け取るのもいいと思います。本物の石清水を見損なったのに、「聞いていた以上に尊かった」などと言っているのですから。 仁和寺にある法師*、年寄るまで石清水を拝まざりければ*、心うく覚えて*、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。 極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり*。 さて、かたへの人にあひて*、「年比思ひつること、果し侍りぬ。 。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけ