例文を挙げます。 例えば「これは中華丼ですか?」という問いが期待する答えは、「Yes or No」です。「はい、中華丼です」もしくは「いいえ、中華丼ではありません」のどちらか、ですね。 生演奏が見たい、新曲が聞きたい、あのミュージシャンとコラボしてほしい。好きな音楽の話をするだけでも十分ですが、さらに深い話題をするにはコレ。簡単な会話のきっかけとして話せる上、何を一番大切にしているのかがハッキリとする質問。時間の次は、お金。この手の質問って、意外と思いつかなかったりします。が、どんな使い道が思い浮かびますか?「あの人は、〇〇な人だった」。この空白を埋める言葉には、その人の理想やモラル、価値観が現れるでしょう。もしも、相手が「ここに居たい」と答えたら。現状維持が好きか、とても愛されてる証拠かも。成功の陰には失敗が。その人がどんな道を歩んで来たかわかるでしょう。何がその人に必要なのでしょうか?生き延びるためか、感傷にひたるためのものか、その選択肢によって相手のことがわかりますよ。音楽と同じく、文学から受けた影響もその人をよく現すもの。相手のことを知りたいときには、その人が好きな本を読んで見るのもアリ。どんな問題に興味を持ってるのかわかります。あまり深く考えずに話しても◎。誰だって自分の話をするのは大好き。とくに、いい想い出ならなおさら。思いがけない体験が聞けるかも。あまり深刻に考えずに、“もしバナ”すると盛り上がります。どんな作品が好きかから一歩踏み込んだ質問。自分が生活するとしたらと考えると、いつもとは違った視点が必要に。時間が無限にあるとして、何を見て、何をするのか。これによって深層心理が明らかになるとも。「刑務所に入らなくていい」という状況を想定してみてください。なにか行動を起こすでしょうか?だとしたら、それはなぜ?その人が自分自身をどのように見ているのかが浮き彫りになる質問。例えば、ライオンは王様、犬は忠誠心がある、といったように、その人の特徴が反映されます。お金、情熱、偶然、繋がりーー。その動機を知ることは、その人の人生を知るきっかけになるでしょう。それが叶えられたかどうかに関わらず、その人が夢をどう捉えているのかわかります。家族の定義は人それぞれ。昔ながらの大家族や友人やペットを含むこともあります。 1億円でも価値のないものは買わない。逆に100円でも価値を見出したら買う。 ... オンリーワンになりたいとか甘いことを言っているヤツが大 … noと言えて初めて、その人のyesに価値が生まれる . 自分だったら嫌で放り出してしまった同じ場面でも、「普通の」人たちはにこにこして当然のように楽しそうに集団に参加したり奉仕している(ように見える)ことを。そしてその後、その人があきらかに集団から受け入れられていることを。その行動こそが、アスペルガーの人にとっての「正解」なのです。自分の気持ちがからっぽ、つまり自分の価値基準がなくなっているのです。それでは、何か判断をつきつけられたとき、自信をもって「NO」や「YES」が言える訳がありません。このようなときに、強制力のある明文化された規則がないからといって、集団に同化しないで一人だけ別行動をしていると、どうなるでしょうか?後々その集団の有力者たちから「わがまま」「勝手」と強く非難、叱責される危険が高いのです。アスペルガーの人は、特に年齢の高い成人アスペルガーの人は、何度もこのようなつらい経験をして、恐怖感でいっぱいになります。多く場合、アスペルガーに行動の選択が求められたとき、本人のほんとうの気持ちは「断りたい」「嫌だ」「逃げたい」「帰りたい」「やりたくない」なのです。飲み会の幹事を仰せつかったら、飲み会の最中、みんなが座っていても自分は会場の壁を背にして立ち続け、飲み物のオーダーをまとめて店の人に伝える役目をして、ときどき景気のよい掛け声をかけて飲み会を盛り上げ、自分も楽しんでいるように装う。アスペルガーを持っている人は、他人に「NO」が言えません。これはなぜでしょうか?単純に、気が弱いからでしょうか?特に個人で行動するとき、誰を信じるのか、何を仕事にしたいのか、何がほしいのか、どこに住みたいのか、何が好きなのか。アスペルガーの人が「NO」と言えない理由は、このように、「普通の」の人の「正解」の行動をとることによって「普通の」マスクを被っていたい、という欲求を追い求めるあまり、自分自身の価値判断を捨てていることから生じるのです。アスペルガーの人は、頭の中にこの「正解」とセットで「どういう時に」という「条件」も記録します。その「普通の」人達がなぜその行動を選択したのか、という理由については、おそらくアスペルガーの人には理解できないでしょう。それを体験しなさいとアスペルガーの人に言うことは、ものすごく残酷なことだと私は思います。その相手が悪意のある人だった場合、アスペルガーの人はいいカモになってしまいます。うまく罪悪感を刺激して「YES」と言わされて、多額の現金を払ってしまったり、貸してしまったり、相手のいうなりになってしまったり。それも、アスペルガーの人自身が自分の意思で「YES」と言ったわけではなく、「社会的にこう言うべきなんじゃないかな」という実態のないふわふわした罪悪感から「YES」と言っただけなのです。すると、日常のふとしたときに、自分の気持ちがからっぽなことに気が付きます。本人が自主的に気がつくためには、とほうもない回数の自身の失敗と反省が必要なのです。そして、人生が終わるくらいの時間と精神力が必要です。しかし自分で決めていないからといって、他人に決めてもらっているわけでもありません。アスペルガーの人が自主判断で「この条件のときは」「このような動けば正解」というルールをいくつも記憶して蓄積して、そのとおりにやっているだけなのです。このようなアスペルガーの人にとって、表面的に目で見える、普通の人が「どう行動するのか」という結果だけが、「正解」なのです。アスペルガーの人はこれを真似します。いわゆる「普通の」マスクをかぶるのです。部長と課長の意見が対立しているのに、部長に対し課長の主張を褒めたたえた発言をしてしまう。ブラック企業で有給など社員の誰も取っていないのに、労働基準法や社則でも権利があるからと発言して自分一人だけ堂々と有給をとって、旅行へでかけ、旅行のおみやげを同僚に楽しそうに配って周囲を凍らせる。しかし、生きていれば、アスペルガーの人はその「ルール」に当てはまらない場面での行動や判断を求められる場面に、たくさん遭遇します。半ばパニックになりながらなげやりに、アスペルガーの人は相手の意に沿う答えをしてしまいます。アスペルガーの人は、なぜ自分のやった言動に対して、周囲が激怒するのか、全く理解できません。自分は何も悪いことをしていないと思っているのです。でも、周囲が怒っていることは敏感すぎるほど感じます。ときにはうつになり、自己評価は最低な状態です。なので、理由はさておき、とりあえずみんなに謝罪し、周囲を見回し、怒られていない「普通の」人達のやることを観察し、これを「正解」として頭に記録するのです。複数の「普通の」人達が、アスペルガーである自分と同じ条件で判断を迫られた場合にどう動くのかについて、アスペルガーの人は観察します。集団の中で自分がどのように行動するのか、一度も自分自身で決定していないことが原因なのです。自分の中に蓄積した「普通の人」のルールに従ってとった行動なのです。ひとつの集団に強くしがみついていると、アスペルガーの人は、その集団の意思(とアスペルガーの人が一方的に思っている)に沿った行動を機械的にとっています。いえ、その戦略によって、集団でなんとか生きてこれたのです。「普通の」人が、集団行動の中で何かの選択を迫られてとる行動が、どのような心情につき動かされた結果なのか、またどのような暗黙の了解が集団内で醸造され、そのたくさんあるルールのうちの、どのルールがなぜ選択されたのか、アスペルガーの人にとっては、全くのなぞなのです。表現できないのではなく、自分がどうしたいのかがわからなくなっているのです。このため、そのアスペルガーの人が自分が個人で行動するとき、一人の人間として何を求めるのか、何に価値を置くのか、なんのために生きているのか、根本的な基盤について、考えることがありません。「集団」が持つルールにがんじがらめになっています。いえ、考えることを無意識に、自分に対して禁止すらしているのです。自分自身の個人の意思を尊重することを、悪だとさえ感じてしまっています。アスペルガーの人が「NO」と言えないばかりに、相手に合わせ「じゃあ、いいですよ」「やりますよ」と言ってしまうと、どうなるのか?「いま、社会的にNOと言ってもよい場面なのかが判断できない」と思っているからなのです。職場によって、アスペルガーの人の思考からは、思いもよらない態度、行動がデフォルトでなんの説明もなく求められます。自分だったら、別に幹事にこんな行動をとってほしくはないなあと思いながら、これが、前回幹事になった「普通の」人がやってみんなに受け入れられた「正解」の行動だから、とう理由から、アスペルガーの人は自分が幹事になってしまったときも、同じ行動をします。判断をつきつけられたとき、アスペルガーの人が真っ先に思うことは、「普通の人ならば、どうするのだろうか」です。「なんとなく嫌なんだけど、このパターンで嫌だというのは、社会的に許されることなのだろうか。」「嫌だと言ったら、後で大勢から非難されないだろうか」「NOと言っていいのか」です。なぜなら、おそらくかれらアスペルガーの人は、無意識だからです。いままで書いてきたような複雑な心理は、他人がどんなに丁寧に説明してもアスペルガーの人の心には、きっと届かないでしょう。例えば、仕事でミスをしてしまったとき。「なぜやったの?!」と上司が発言しても、「なぜやったのか」を間違っても説明しない。無条件に「申し訳ありません」とだけ言い、どこが悪かったのかも質問しない。数日経過し、上司の怒りが完全に収まってから、なんとなくどこが悪かったのか聞けたら聞く。アスペルガーの人は、このような行動をとった結果、集団内で強い非難、叱責を何度もうけてきました。アスペルガーの人が、他人から都合のよいように利用されてしまうことです。自分の意思で決めたわけではないので、アスペルガーの人は自分が騙されたことに後で気がついて大きく後悔します。そこで突然相手を非難したりします。本人も相手も双方が傷つき怒りに打ちひしがれます。では、こうなってしまっているアスペルガーの人は、どうしたらよいのか?いまのところ、わたしには、魔法のようによく効く解決策は見つけられていません。しかし、客観的に見ると、非はアスペルガーの人のほうにあるのです。自分の意思でもないのに、誰に強制された訳でもなく、アスペルガーの人は自分から「Yes」と言ってしまったのです。ひどいときは、自分が言ったことを人のせいにして、自分自身を被害者であるかのように感じてしまうからです。この「正解」の行動さえマスターして、普通のマスクさえ被れれば、自分も周囲から怒られない。すばらしい!とアスペルガーの人は感嘆します。アスペルガーの人が自分の頭で考えて、こうしようと結論を導き出してやっている行動ではないのです。ただのものまねです。