その中の一人が春琴を口説こうとして、にべもなく断られた腹いせに犯行に及んだというのが一応普通の推理です。と言っても、生まれた子どもは佐助にそっくりだし、周りの空気的には明らかに二人の子だよね、という感じなわけです。醜い顔になってしまったと嘆く春琴のため、佐助は自らの目を潰し、これで私がお師匠様の顔を見ることはありませんと言って彼もまた盲目となり、生涯春琴に寄り添ったのでした。春琴のこと大好きな佐助はちょっと大人ということもあって(実際4つ年上)、何より二人の秘密ってのが嬉しかったし、周りが二人の関係を想像すればするほど優越感に浸っていたのかもしれない、と僕なんかは思います。また、読者的には(語り手的にも)佐助こそがへりくだり続けることでその関係性を守っているように見えるわけです。足に対する執着とか、欠落が生み出す美とか、かっこいい文章力だなあと思うわけです。春琴と佐助は後に奉公先に娘と丁稚という関係のみならず音芸の師弟関係にもなりますが、物理的にも打ちのめされるのが佐助です。真実は語られないのだけど、明らかに二人の間には肉体関係がある。最後、谷崎潤一郎が『春琴抄』で行った実験とその効果について考察して終わります。こんな具合で、『春琴抄』おもしろって思ったわけです。日本文学面白いぞって心から思った作品。それまでは教養とか義務で読んでたけど、『春琴抄』は楽しく読めて、それから谷崎潤一郎が好きになったんですよね。僕らはきっと無意識に句読点を念頭に置きながら一文を読んでいて心の中でイントネーションやリズムを作って読んでいるしかし句読点を省くと予期せぬタイミングで一文を読み終わることがあるそういうとき続きがあると思って読んだ文章とここで終わりというつもりで読んだ文章とでは呼吸が異なりなんだか気持ち悪くなってしまう。極力省くというよりは、句読点を打つべきところにも打ってないなんてこともあり、単純に「ん?」となることも多いです。この構図を擦り込むように、早い段階で佐助の丁稚としての仕事が語られるのです。WEB上の記事で長いものはあまり好かれないし、歌、漫才、など、メディアやコンテンツ全体を見てみても、どんどんテンポが上がっているように思います。女性に困らされる男性や、女性の美しさに惑わされるような話をよく書くけれど、『春琴抄』はその中でもとりわけ耽美でマゾヒズムに溢れている。これは春琴抄の読みどころの一つだと思うし、谷崎潤一郎の手腕がいかんなく発揮されている部分だと僕は思う。多分『春琴抄』を読んだ人なら覚えてるんじゃないだろうかと思う印象的なシーンでは、佐助が春琴の足を胸で温めるという仕事?について。なんで佐助が良いの?と問われれば、佐助は余計なこと言わないから良い、みたいなことを春琴は言う。しかし谷崎潤一郎の過不足ない分かりやすい文章は、そもそも削るという発想にはならなかったのかもしれない。そんな春琴に完全に打ちのめされてしまったのが佐助です。単に一目惚れと言っても差支えはないと思います。いや、ここが確かなのかどうかも『春琴抄』では明らかにされない。ここが個人的にはぞくぞくする。可愛い、怖い、美しい、可笑しい、優しい、切ない。こんなにいろいろな感情に晒されることになるなんて、と思いました。『春琴抄』はいわゆる「信頼できない語り手もの」の要素があることも書いておかなければなりません。とにかく春琴は盲目の美少女だった。佐助はその春琴にベタぼれしてた。この点が大事。一つは、読みにくくすることで緩急をつけて、読んでほしいところ、印象に残したいところを有効に読者の心の網膜に焼き付けようとした。今の言葉で言うと春琴の、いや春琴ちゃんの属性は「鬼畜ロリ美少女」で「ツンデレ」です。現在のコンテンツを見ると、テンポよく、短い時間で楽しめるものが多いのではないでしょうか。ブログのテーマは「人間と人間の関係、人間と場所の関係が作り出すもの」です。僕は、佐助は普段から春琴の足を頬に当てたいと思っていたところ、うまいこと歯が痛くなったのでこれは丁度いいんじゃないかと思ってついついやってしまったという説が有力だと考えます。谷崎潤一郎作品では足に対する愛着というか性的嗜好が垣間見えるものが多いです。論理や場面の飛躍というものが少ない作家だと思うので、内容ではなく、リズムを司る句読点の方で工夫をしたくなったのではないか。いつもの二人の関係そのままのアブノーマルなものだったのか、それとも、いつもとは違った春琴がいたのか。ムキになって否定するからかえって怪しいって、なんか中学校の男女とかでありがちですよね。それは春琴の手曳き。佐助は目の見えない幼い春琴が琴の師匠のところまで通う道を、手を曳いて歩くという仕事を任せられます。日本の文学作品ってだけで毛嫌いしている人もいると思う。硬いイメージ、退屈なイメージ、辛気臭くて古臭いイメージ。もしくは難しいイメージ。だからこの記事で少しでも『春琴抄』に関心が湧いたら読んでみてほしい、もしくは再読してみてほしい。結局春琴は佐助のこと、どう思っていたのか。男として愛していたのか。春琴には妹も姉もいて、二人とも良いところのお嬢さんに違いないのですからそれなりに美しいのでしょうが、「なかでも盲目の春琴の不思議な気韻に打たれた」というのです。春琴はキレイだったので、美貌目当てで稽古にやってくる半端者もよくいたそうです。『春琴抄』は何度か映像化もされてるようだけど、アニメにしても良いだろうって思えるほど、特に「春琴」というキャラクターは立っていると思う。この点を見ると「ライトノベル」として読んでも良いかもしれない。春琴と佐助の間には子どもがいました。すぐに養子に出したけれど、子どもができたのだから肉体関係があったことは確かです。で、春琴さんがブチ切れて蹴ってしまったのも、佐助があんまり愛しそうに足に頬ずりするからまあ恥ずかしかったってのが大きいのではないかと思ってます。あらすじで書ききれなかったエピソードはこれ以降、『春琴抄』の魅力を語りながら、なんとか盛り込んでいきますね。けっこう大事件だけど、春琴の顔に塩酸をかけてひどいやけどを負わせた人物は定かになりません。習慣的に、春琴は佐助の胸で足を温めてもらってました。なんか背徳的な光景ですよね。春琴と佐助の関係について考えるにつけ、人間は奥が深いなあと思うわけです。何度か読み返す本はあるけど、春琴抄もその一つ。作品は語り手が「鵙屋春琴伝」という書物を見て春琴の墓に参ったところから始まります。生き物としてのランクがまるで違う。それは主に佐助が望んだことなんでしょうけど、佐助にとって春琴は遠く隔たったところにいる、神のごとき存在だった。単語のレベルで言えば、あらゆる流行りものは省略語で呼ばれることになるし、よく使われる言葉は極端に省略される。あいさつとか。このことに谷崎潤一郎は気付いていたのではないか。今後どんどんスピードが上がっていくのではないかということを察していたのではないか。谷崎潤一郎は実験的に句読点を極力省いた特徴的な文体で『春琴抄』をものしました。ちょっと話逸れますけど、特に谷崎潤一郎すげえって思うのは、語りの匙加減、そして、論理と映像の呼応を感じさせる技術です。でもよく分からないですよね。どうやって乳母が菌を春琴にうつしたのか。根拠があるわけではなく、語り手は佐助の想像なんじゃないの、と思ってる。春琴は多分精神年齢が中学生の女の子くらいだったんだと思います。アイツと付き合ってんの?とか言われたらめっちゃムキになって否定してしまう。男女の関係を隠すことのエロさに春琴は無自覚で、佐助はおそらく自覚している、というギャップ。現実でも、人の想像を掻き立てる一番丁度良い情報ってありますよね。かと言って、ライトノベルとして読めるか?と言われれば、春琴の盲目と佐助が体現する「恋は盲目」というモチーフのフィット感とか、盲目でドSの春琴の手を引くドMの佐助っていう構図の巧みさとか、その他にもいろいろとちりばめられた文章同士の呼応を呼び起こさせる視覚的な仕掛けというのはまさに日本文学という感じがする。そこで多くの人は読みなおす。自分が読みやすい呼吸で、つまり句読点を補って読みなおす。それこそ男女関係ではよくあると思う。語りすぎないし、秘めすぎない。疑い深い語り手をわざわざ拵えた意味がここにあると思うのです。あくまでここら辺は噂なんだけどね、という語らない口実を、伝聞という形で語るキャラがいることで成り立たせてしまっている。このあたり、こんな研究があるよ、みたいなものがあったら教えてほしい。この「鵙屋春琴伝」というのは佐助が人に頼んで編んだものらしいんだけど、内容を見るに佐助の主観がすごいよね、これもう実質佐助が書いたものだよねって感じらしいです。控えめにいって、とにかく春琴を崇め奉るような内容なわけです。あくまで語られるのは、つまりよく見えるのは、春琴と佐助の主従関係と師弟関係です。公式の情報はこれだけ。だからそれ以外は想像と言えば想像というもどかしさが良いですね。つまり、あれこれ佐助を顎で使う春琴の方が実は操作されているという構図というか関係性が見える。僕はあらすじをまとめるのが非常に苦手なのだけど、あらすじを紹介しないわけにはいかない。あらすじというか基本的な情報をできるだけ書きます。「鵙屋春琴伝」の記述をもとに春琴と佐助の関係について語っていく、考察していくという内容なのですね。この点を踏まえた上で、春琴と佐助の関係の周辺に横たわるミステリアスな要素をちょっと見てみましょう。このミステリーは「語り手」が感じているものでもあります。『春琴抄』にとって大事なのは、顔を焼かれてしまった春琴を思って、佐助が自分の目を潰すということなのです。小説を書きます。コミュニティスペースと民泊の運営をしています。この「鵙屋春琴伝」を参考にして語られるのが『春琴抄』なので、そもそも信頼できない点がたくさんある。よって、「信頼できない語り手」ではなく「信頼してない語り手」による考察記なんですね。『春琴抄』は「恋は盲目」を地で行くような話で、佐助が貫いた愛の物語なのだけど、恋愛小説だ、耽美だで済ませるにはもったいない密度がある。ここまで読んでいただければ分かると思うけれど、『春琴抄』のジャンル要素をミステリー(信頼できない語り手もの)とか恋愛小説とかライトノベルっぽいとか分けて考えても、結局すべての要素がうまく混ざり合っています。恋愛小説だけど、「ミステリー」の要素もあり、現代にも通じる「萌え」の要素もある。謎が折り重なって萌えとなり、萌えと暴力、萌えと盲目のギャップに素晴らしいコントラストがある。歳を取るにつれて、人間の語りきれない部分の存在があることを知りますが、谷崎作品はその語りきれない部分を雄弁に語る。丁寧に説明して見たり、語らないで見たりして、人には様々な面があることを伝える。そんな春琴さん、何者かの恨みを買ったか、ある夜、誰かに塩酸で顔を焼かれてしまいます。しかし、その仮説をもって本文を読んでも、本則性を見つけることができませんでした。そもそも、日常会話のテンポが非常に上がっていますよね。若い人の口調は速く、察する力の向上も重なって、説明や単語の省略は非常に多いです。特に谷崎潤一郎の話はすべての要素が機能的に働いているので、全部読んで!という話になってしまう。谷崎文学の特徴だと思うのですが、決して難しいことが書いてあるわけじゃない、淡々としていて、しかし語るところと語らないところの陰影や仕掛けがちりばめられていて飽きさせない。春琴さん、門徒に対して手が出る暴言を吐くのは通常運転なのですが、春琴により打擲(ちょうちゃく)をありがたく受け止め涙を流すのは佐助だけ。きっと「鵙屋春琴伝」を読めば春琴ってどんな人なん?って誰しもが思うのでしょう。そんな語り手による、春琴と佐助の関係の考察が『春琴抄』なんですね。でも、以前、親が春琴と佐助の結婚を勧めた折には春琴さんブチ切れだったわけです。誰があんな丁稚風情とって具合に、めちゃくちゃ不機嫌になったそうです。春琴本人は完全黙秘っていうか相変わらず、なんであんな男と私が!って取り付く島もないし、じゃあしょうがないって佐助を問いただしても言ったらダメなんですって泣き出すくらいにして、この件は触れないでおこうってことになる。ところが、ある日佐助は虫歯が辛くて辛くて、思わず春琴の冷えた足を頬に当ててしまいます。まあこの話にとってその辺はどうでも良いんだけど、という感じで物語は進みます。才能がある美少女で幼い頃からもてはやされ、のちに失明という不幸を負ったこともあってか正直、性格には難ありです。わがままに育てられましたし、驕慢で気位が高く、扱いにくい少女でもあったようです。佐助は生涯を通じて春琴に付き従ってきたわけですが、春琴の傲慢さと言ったら目に余るものがあります。「鵙屋春琴伝」曰く、春琴が視力を失ったのは風眼だったと言います。『文章読本』では分かりやすいことが至上と言っていた谷崎潤一郎ですが、正直読みにくいところも多い。長くなってしまった。好きな作品について書くと長くなっちゃうんだよないつも。普段の春琴と佐助は、完全なる主従関係を結んでいます。師弟関係とか主従関係では足りないくらいの関係です。ご主人様と犬、女王と下僕のような関係。風眼っていうのは主に性感染症の原因となる菌(淋菌など)により結膜炎を生じさせるもので、乳母が春琴のことを内心憎く思っていて、なんらかの方法で菌をうつしたのだと書いてあるそうです。ミステリアスな部分を語れば萌え要素が際立って恋愛小説らしく見えるし、恋愛小説と見ると春琴の際立ったキャラクター性が浮き彫りになってライトノベルに匹敵する「絵」が浮かび上がる。そんな間柄で行われる交接とはどんなものだったのかが想像させられてしまいます。谷崎潤一郎と言えばマゾヒズム、みたいなところがあって、『春琴抄』はそんな谷崎潤一郎の代表作の一つと言って良いですよね。とてもとても簡単に説明すれば、『春琴抄』というのは、春琴という女性と佐助という男性の恋物語です。その後佐助は死ぬまで春琴を神のように崇め、最愛の女性として敬い続けます。最初は何人かで交代でやってたんだけど、春琴が佐助が良いっていうから、いつしか佐助が専属みたいになる。いずれにせよ、語られないこの部分に漂うエロさ、もとい耽美さは異常。時代が進むにつれて、コンテンツのテンポというものは速くなっていると思います。春琴は9歳にして視力を失ってしまう。だけどどうして視力を失ったのかはよく分かりません。春琴は大阪の薬種商の娘。佐助はその家に丁稚奉公をしている少年。春琴は幼い頃から舞踏の才能と美貌を併せ持つ少女ですが、9歳のころに失明。後は三味線や琴の方で芸を極めました。