小林弘利; 撮影. 春琴抄 (2008) 2008年9月27日公開 ... 原作. 小説を読む、という行為には、確かに多くの自由が与えられています。描写を通してどのような情景を思い描くかもそれぞれに一任され、叙述トリックという言葉があるように、語りのあり方によって物語の様相を異なったものとして浮かびあがらせることもできます。「読む」という言葉が、「真実であるとは限らない言葉の中から、自分なりの真実を見つけ出す行為」を意味するのであれば、読者としての役割を与えられているのは、語り手と私たちだけではありません。この作品において、狂おしいほどに春琴を崇拝し忠誠を誓う佐助の様子は、非常にマゾヒスティックに描かれていますが、そんな彼の姿はときに「究極の愛」としてもてはやされ、現代においても『春琴抄』は名作として多くの人に読み継がれています。ここからわかるのは、谷崎は明らかに「読む」ということと、マゾであることの間に、共通点があると考えているということです。佐助が春琴に虐げられ自らを傷つけるに至る過程は、すなわち私たち読者が、自ら小説を読み、不確実な言葉に虐げられる道を選ぶ姿に似ているというわけなのです。『春琴抄』には、春琴の態度からその気持ちを「読む」佐助、『鵙屋春琴伝』を「読む」語り手、そして『春琴抄』を読む私たちという、3人の読者が存在するというのは先に述べた通りです。では、もうひとりの読者たる佐助には、春琴の真の姿を見ることができていたのでしょうか―――恐らく佐助もまた、真実にたどり着くことのできない読者のひとりであったことでしょう。春琴の佐助に対する言葉が常にまことであるとは限らないために、佐助は常に彼女の言葉や表情から、彼女の望むことを「読んで」いなければなりません。そうでなくては、春琴の機嫌をとることはできないのです。これは『春琴抄』のクライマックス、佐助が傷つけられた春琴の顔を見ずに済むよう、自分の目を潰してしまう前の2人の会話です。佐助のマゾヒズムをことさらに強調するようなこの行動もまた、春琴の気持ちを「読んで」のことでした。文学作品には、そうした小説の新たな楽しみ方を教えてくれる大きな力があります。このような視点から、また名作を読み返してみるのも面白いのではないでしょうか。作者にも読者にも消耗を強いるそのあり方にどうしようもなく惹かれてしまう、と思ってしまうのは、やはり小説の読者として、マゾヒズムを持ち合わせている証なのでしょうか。『春琴抄』には、佐助が細々と気を遣いながら気難しい春琴の身の回りの世話を引き受ける様子を描いた、印象的な場面がいくつかあります。この小説には、作者と私たち読者の間に結ばれる関係性について、さらには「読むこと」について、数多くの示唆が含まれています。こういった記述によく表れている通り、佐助は自身のなかに理想の春琴像を作り上げ、それを崇拝していたきらいがあります。私たち読者が決して小説の真実を知ることはできないように、彼もまた自分のなかに春琴像を作り上げるより他なかったのです。『春琴抄』の作者である谷崎は、東京帝国大学在学中より創作活動を始め、やがて自身が創刊した雑誌『新思潮』に発表した『刺青』などの作品が高く評価されて、作家として注目を浴びるようになりました。『春琴抄』は、そんな谷崎が48歳のときに発表した作品です。純文学のなかでは比較的ストーリーが面白く、読みやすく感じる谷崎作品。80年以上にわたり読み継がれてきた代表作『春琴抄』の、文学作品としての魅力をご紹介します。つまり、物語の内容でも「マゾ」を描き、全体の構成も「マゾ」なものになっている……ということです。今回はここに着目して、作品の魅力を語っていきます。語り手は、春琴を崇拝していた佐助の記述には信憑性に欠ける部分があるとし、2人をよく知る女の話や自身の考察を交えながら真実を探るようにして『春琴伝』を読んでいきます。そして私たち読者は、実際の春琴たちには会ったこともない語り手の言葉を読んで、彼女たちについて知るのです。しかし、『春琴抄』に描かれているのは、そんな激しくも美しい師弟愛だけではありません。本作の文学作品としての最大の魅力は、物語の内容とそれを描く文章の構成が非常に美しくシンクロしている点にあると言えるでしょう。大阪の薬種商である鵙屋家に生まれた春琴は、9歳のときに視力を失ったことをきっかけに、本格的に琴や三味線の稽古をはじめます。そして春琴に密かな憧れを抱く丁稚の佐助もまた、彼女に習って三味線の稽古をはじめるのです。つまりこの作品においては、読者に対して常に語る側の存在であり『春琴抄』の作者としての役割を与えられているはずの語り手が、同時に、『鵙屋春琴抄』の不確かな言葉に虐げられる読者でもあり得るということなのです。そして、不確実な文章を読む語り手と私たちには、決して春琴たちの真実を知ることができないということも前述した通りです。『春琴抄』は、佐助が著したとされる『鵙屋春琴伝』を読んだ語り手が、春琴と佐助について語るという形をとっています。佐助はわがままで気位が高い春琴に対して、常にまめまめしく仕え、春琴による稽古の際の激しい折檻にも決して根をあげません。語り手は佐助が書いた不確かな伝記を「読んで」春琴の一生を語り、読者は語り手の曖昧な言葉を「読む」ことによって春琴の生涯を知る。 谷崎潤一郎; 脚本.

映画監督 西河克己 さん死去 . ラピュタ阿佐ヶ谷「荷風と谷崎麗筆、銀幕に咲く」より「賛歌」1972年近代映画協会・atg監督:新藤兼人谷崎潤一郎の「春琴抄」が原作。この作品も過去から数々映画化されていますね。我々世代では山口百恵、三浦友和コンビのもを記憶しています。当然この文芸映画は未見なのですが。 舞台は明治の大阪。薬種問屋鵙屋の娘お琴は、9歳で病により失明してしまいました。しかしそれから琴の稽古に励み、自他ともに認める名手にまで成長します。容姿も非常に美しいお琴ですが、両親の溺愛もあってか性格は少々傲慢でした。鵙屋の奉公人である佐助は、店の仕事のほかにお琴の世話も任されていました。お琴に献身的に尽くすうちに、佐助自身も三味線を密かに練習するようになります。しかし番頭に見つかり激しく叱責されてしまいます。それを知ったお琴は佐助を弟子に迎え、厳しい稽古をつけるのでした。佐助は弟子入りをきっかけに、お琴の世話を一手に引き受けるようになります。そんなある日、大きな地震が大阪を襲いました。突然の揺れに盲目のお琴は怯えます。そこへ真っ先に駆けつけたのが佐助でした。地震を境にお琴は態度を少しずつ軟化させます。しばらくしてお琴の妊娠が発覚しました。両親が問い詰めても、お琴は父親が誰なのか話そうとしません。おそらく相手は佐助だろうと見当をつけますが本人たちは強く否定します。結局父親は分からないまま、赤ん坊は里子に出されました。その後お琴の父鵙屋安佐衛門と師匠が相次いで亡くなり、お琴はかねてより許されていた「春琴」を名乗り、佐助と共に家を離れ音曲の教室を開くことにしました。教室を開いた春琴のもとへ様々な門下生が集います。中には春琴の腕前より、その美貌に惹かれてやってくる者もいました。名家の若旦那、美濃屋利太郎もその一人でした。彼は別邸の新築祝いに、春琴に琴を演奏して欲しいと頼みます。渋々出向いた春琴と佐助。利太郎は食事の席で春琴と佐助をわざと引き離します。一人別室に通した春琴を抱き寄せようとしますが、激しく抵抗され額に傷を負ってしまいました。騒ぎを聞いて駆けつけた佐助に伴われ、春琴はその場を後にします。プライドを傷つけられた利太郎は、春琴への憎しみを募らせていくのでした。ある夜、春琴の家に一人の男が侵入しました。男は眠る春琴に近づき、その顔に熱湯を浴びせます。春琴の悲鳴に佐助が慌てて部屋に入りましたが、男を捕らえることはできず、春琴は顔に酷いやけどを負ってしまいました。男は利太郎が雇ったならず者でした。利太郎は春琴への復讐として、美しい彼女の顔にやけどを負わせたのです。春琴はすぐに治療を受けましたが美貌は損なわれてしまいました。春琴は佐助にだけはやけどで爛れた顔を見られたくないと悲嘆します。それを聞いた佐助はある決心を固めます。部屋で一人きりになった佐助は、針で自分の両目を刺しました。白くぼやける佐助の視界。春琴が呼ぶ声に応じようとしますがうまく歩けず、庭に落ちてしまいます。這うように近づいて来た春琴に、佐助は自分も盲目になったこと、春琴のやけどなど見えないことを伝えます。佐助の激しい忠義と愛情に胸を打たれた春琴は涙を流します。盲目の師弟は感触で互いを確かめ合い、この物語も終幕を迎えます。ここからは映画「春琴抄(1976)」のネタバレを含んでいます。あらすじの結末まで解説していますのでご注意ください。映画「春琴抄(1976)」のあらすじと結末をネタバレ解説。動画やキャスト紹介、レビューや感想も掲載。ストーリーのラストまで簡単解説します。

谷崎 潤一郎『春琴抄』の感想・レビュー一覧です。電子書籍版の無料試し読みあり。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。 村島恵子; 編集. 映画『春琴抄(1976)』のネタバレあらすじ結末と感想。春琴抄(しゅんきんしょう)の紹介:1976年日本映画。明治初期の日本。美しい盲目の女性春琴と、彼女に献身的に仕える佐助の激しい愛と絆を描く。究極の愛を貫く二人の姿を、のちに結婚する山口百恵と三浦友和が熱演。 映画「春琴抄(1976年) 」ネタバレあらすじとラストまでの結末・動画やみんなの感想を掲載。起承転結でわかりやすく徹底解説しています。春琴抄(1976年) のストーリーの結末・感想や感想を含んでいるので、観ていない方はご注意ください。この映画のカテゴリーは ラブストーリー です。 春琴抄 (新潮文庫)/谷崎 潤一郎¥300Amazon.co.jp谷崎潤一郎『春琴抄』(新潮文庫)を読みました。久々に『春琴抄』を読み返してみて、ぼくはふと近… 【ホンシェルジュ】 純文学のなかでは比較的ストーリーが面白く、読みやすく感じる谷崎作品。80年以上にわたり読み継がれてきた代表作『春琴抄』の、文学作品としての魅力をご紹介します。 | komari(純文学好きの女子大生) だから「春琴抄論争」というのが起こり、一部では佐助が犯人だとか言われるのだが、原作を普通に読めば外部の犯行としか考えられず、失敗作というしかない。映画もまたこの問題を解決していない。炊事場も映されるが、スタッフは撮影中にヘンだと思わなかったのかな。 小林由加子; 音楽. 吉永小百合さんや、山口百恵さん主演の青春映画などを手掛けた映画監督の 西河 克己(にしかわ かつみ)さんが2010年(平成22年)4月6日午前4時40分、肺炎のため東京都大田区内の病院で死去した。91歳だった。 鳥取県出身。 嵩村裕司; 衣装.

žã‚„ビルマへ出征、捕虜収容所生活も経験した。 今井裕二; 美術. 『春琴抄』(しゅんきんしょう)は、谷崎潤一郎による中編小説。盲目の三味線奏者・春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。 句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴。