外見上は衣冠とほとんど同じであるが、「直(ただ)の衣」の意味より平常服とされ、色目・紋様も自由であった。 成人前の若年者は「童直衣(わらわのうし)」を着用した。
カテゴリマスター. 古典の勉強中です几帳一襲直衣の読み方を教えてください(>_<) 十訓抄の鬼の笛(本文の)読み方を教えて欲しいです(T_T)明日、読みのテストが有る... このカテゴリの回答受付中の質問

外見上は衣冠とほとんど同じであるが、「直(ただ)の衣」の意味より平常服とされ、色目・紋様も自由であった。 成人前の若年者は「童直衣(わらわのうし)」を着用した。 古典文法 2020.5.2 係り結びとは?意味、省略された時の読み方を丁寧に解説! 古典文法 2020.7.5 【古文文法】動詞の活用 全9種類の覚え方、見分け方まとめ 古典文法 2020.3.22 助動詞・助詞の接続とは?接続の覚え方は?接続を使った読解法も紹介!

直衣(のうし、なおし)は、平安時代以降の天皇、皇太子、親王、および公家の平常服。. 直衣(のうし)とは。意味や解説、類語。《直 (ただ) の衣、平服の意》平安時代以後、天皇・摂家・大臣など、公卿の平常服。衣冠の袍 (ほう) と同じ形で、烏帽子 (えぼし) ・指貫 (さしぬき) とともに着用した。衣冠と違い、位階による色の規定がないので、雑袍 (ざっぽう) といわれる。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. 違反報告.

中世以後、衣・単を略したものがよく用いられ、衣と単を重ねたものを「物具」ということもあった。親王は臣下に同じだが、近世に世襲親王家では菊の丸文の類を使用することもあった。夏は皇族・貴族・童のすべてが穀織(こめおり、紗の一種)の三重襷(菱文の一種)となり、若年は濃二藍、年を追って縹・浅黄となり、老人は白平絹。天皇の直衣は普通「御引直衣」といって、下半身の丈の長い直衣を使用する。このときは下に重ねる衣や單も女性のもののように長いものを使用、袴も紅の長袴である。直衣の色目文様は次項のとおり。下に着るものについては、長御衣は白もしくは紅の小葵文綾で裏は同色平絹。単は、近世では普通の男物につかう紅繁菱文綾のほか、白繁菱や、紅もしくは白の竪長の花菱の遠文である。つまり長御衣の文様は一種類、単は二種類で色は紅白しかないのである。近世の長御衣・単は襟の形が男物の先がとがった形状であり、わきはかなり下まであいていて、裾から1尺余り縫うだけである。夏は御衣を略したり、裏のない引陪木《単であるが、文様は衣に同じ》を用いたりする。袴は女子の長袴同様の「ねじまち」で、正式には表紅小葵文綾・裏紅平絹。略儀には紅生絹の引き返し仕立て(裾口を折山にして、表裏一続きの生地でしたてる。無双仕立て)とする。近世の例では、形状は全く女性と同じだが、紐先に「立鼓」の飾りはない。『源氏物語』によると光源氏の狩衣着用は微行時に限られていることからわかるように、平安中期までは上流貴族の通常服として盛んに用いられたが、院政期には狩衣の使用が一般化し、大臣などは狩衣を改良した小直衣を用いるようになって、次第に略礼装の位置を占めるようになった。室町時代に内裏小番の制度が確立すると、儀式のない日の当番には直衣の勅許を得たものは直衣、それ以外は衣冠で参内するようになり、宮中での勤務服という性格を持つようになり、幕末に至った。その他近世では他家の元服への参列、宮中の和歌会や雅楽会への参列などにも使用する。天皇もしばしば「御短直衣(御上げ直衣)」を使用する。袴は、指貫なら紫の「かにあられ」文浮織物。このほか紅小葵文綾の指貫に似た袴である「小口袴」も使用した。明治以降は旬祭や神宮への勅使発遣など、黄櫨染御袍の束帯を着るものより略式の儀式に、立纓冠・笏・大口袴とともに使用する。 直衣(のうし、なおし)は、平安時代以降の天皇、皇太子、親王、および公家の平常服。. 古典の問題です。 「直衣」は歴史的仮名遣いで 「なほし」となりますが 現代仮名遣いでは「なおし」ですか? それとも「のうし」ですか? どちらが正しいのでしょうか。 共感した 0. Learn vocabulary, terms, and more with flashcards, games, and other study tools. 中世以後、衣・単を略したものがよく用いられ、衣と単を重ねたものを「物具」ということもあった。親王は臣下に同じだが、近世に世襲親王家では菊の丸文の類を使用することもあった。夏は皇族・貴族・童のすべてが穀織(こめおり、紗の一種)の三重襷(菱文の一種)となり、若年は濃二藍、年を追って縹・浅黄となり、老人は白平絹。天皇の直衣は普通「御引直衣」といって、下半身の丈の長い直衣を使用する。このときは下に重ねる衣や單も女性のもののように長いものを使用、袴も紅の長袴である。直衣の色目文様は次項のとおり。下に着るものについては、長御衣は白もしくは紅の小葵文綾で裏は同色平絹。単は、近世では普通の男物につかう紅繁菱文綾のほか、白繁菱や、紅もしくは白の竪長の花菱の遠文である。つまり長御衣の文様は一種類、単は二種類で色は紅白しかないのである。近世の長御衣・単は襟の形が男物の先がとがった形状であり、わきはかなり下まであいていて、裾から1尺余り縫うだけである。夏は御衣を略したり、裏のない引陪木《単であるが、文様は衣に同じ》を用いたりする。袴は女子の長袴同様の「ねじまち」で、正式には表紅小葵文綾・裏紅平絹。略儀には紅生絹の引き返し仕立て(裾口を折山にして、表裏一続きの生地でしたてる。無双仕立て)とする。近世の例では、形状は全く女性と同じだが、紐先に「立鼓」の飾りはない。『源氏物語』によると光源氏の狩衣着用は微行時に限られていることからわかるように、平安中期までは上流貴族の通常服として盛んに用いられたが、院政期には狩衣の使用が一般化し、大臣などは狩衣を改良した小直衣を用いるようになって、次第に略礼装の位置を占めるようになった。室町時代に内裏小番の制度が確立すると、儀式のない日の当番には直衣の勅許を得たものは直衣、それ以外は衣冠で参内するようになり、宮中での勤務服という性格を持つようになり、幕末に至った。その他近世では他家の元服への参列、宮中の和歌会や雅楽会への参列などにも使用する。天皇もしばしば「御短直衣(御上げ直衣)」を使用する。袴は、指貫なら紫の「かにあられ」文浮織物。このほか紅小葵文綾の指貫に似た袴である「小口袴」も使用した。明治以降は旬祭や神宮への勅使発遣など、黄櫨染御袍の束帯を着るものより略式の儀式に、立纓冠・笏・大口袴とともに使用する。

今回は、古典(古文・漢文)を学ぶ上で、初学者が苦手としている「歴史的仮名遣い(れきしてきかなづかい)」と「現代仮名遣い(げんだいかなづかい)」・「発音(読み方)」のルールに関する基礎知識について紹介します。なお、練習問題は中段に記載。
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