上記オリジナルストーリーの内容は、その後チェーンメールとして広まった。以上があらすじであるが、「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとすることもある)」、「修理には妻となったしずかが立ち会った」などと脚色されている場合もある。自転車に乗れないのにしずか達とサイクリングに行く約束をしたのび太。いつものようにドラえもんを頼ろうとしていたのだが、なぜかドラえもんはのび太を冷たく突き放す。ドラえもんは、自分に頼りっきりなのび太の自立心を養うためにセワシと相談の結果未来へ帰ろうと考えていたのだが、何かと優しくしてくれるのび太にそれを言い出せないままだった。そこでガチャ子と一計を案じ、「ドラえもんの調子が悪くなった」という口実で未来に帰ることをのび太に告げた。のび太は泣き出してしまうが「ドラえもんを治すためなら我慢する」と言った。それを聞いて感動したドラえもんは真実を告げ、のび太もそれを受け入れてくれた。その後、仲間らと送別会を開いたドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げた。これに対し、アニメ第2作1期では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード「未来の国からはるばると」を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。当初はこのような出版の事情もあって、藤子は最終回を執筆したが、後に『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたことや、単行本が発売されたこともあり、『ドラえもん』についてはこの趣旨に則って書かれた最終回は2本だけで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった。またこの結果、2本目の最終回を読んだ読者は、『小学五年生』購読の1年を空けて、『小学六年生』からまた読めることになった。そのため『小学五年生』3月号には、ドラえもんがのび太の元へ帰ってくるという2ページ漫画が掲載された。『小学六年生』1985年9月号掲載(この後に『コロコロコミック』1986年6月号再録、『小学六年生』1989年3月号、1991年3月号でも再録)ここでは、本来最終回となるはずだったエピソード「さようなら、ドラえもん」、及びその関連エピソード「帰ってきたドラえもん」についても連載順に記述する。前述の「45年後…」の翌週の2005年3月18日、特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル』として放送。アニメ第2作1期としては最後のテレビ放送となった。なお、この話は2005年~2006年および2014年刊行の『ドラえもんプラス』シリーズの第5巻に収録されている。アニメ第2作2期でも特番でアニメ化されたが、最終回に準ずる扱いではない。2005年放送のアニメ作品では、前半は原作と同じだが、その後のび太が誤ってブザーを押してデート中のドラえもんを呼びつけてしまった。せっかくのデートをぶち壊した事に怒ったドラえもんが未来へ帰り、後は「オールキャラ夢の大集合」というだけあって原作とは異なりセワシ、ドラミ、ミニドラたちが登場するといった、ほぼオリジナルのエピソードとなっている。『ぼく、ドラえもん。』の付録冊子最終巻の最後に収められた話。全作品中で唯一、老年期ののび太(小学6年生ののび太から見て45年後なので56~57歳)が登場する。ラストシーンではのび太自身が過去の自分に対するエールを送る。アニメ第2作1期では、通常放送の最終話として「45年後…」、翌週に特番として「ドラえもんに休日を?!」が放映された。これは、1人のドラえもんファンが「自作の最終回」と明記した上で作成したオリジナルストーリーが、チェーンメールなどにより一人歩きしたものである。「電池切れ説」とも呼ばれる。当該雑誌は基本的に1年間しか読まれない(小学○年生3月号の読者は、翌月に進級し、一学年上の学年誌を読み始める)ことに加え、連載当初の『ドラえもん』は『小学五年生』『小学六年生』には掲載されていなかった。つまり小学館は、『ドラえもん』を読むのは最後となる『小学四年生3月号』の読者への配慮として便宜的に『最終回』を掲載する必要があった。実際に当時の他の学年誌連載作品でも、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために『第1話的』な内容を書き、年度末の3月号には『最終回的』な内容の物語を掲載することが慣例的に行われていた。無論、『最終回』が掲載された翌月の『小学四年生4月号』(新四年生が読み始める)には、通常通り『ドラえもん』が掲載されるため、本来的な意味での最終回とは異なる。未来に帰った後、ドラえもんはセワシと共にタイムテレビを通して自転車に乗る練習をするのび太を温かく見守っていた。ただしその後もチェーンメールは真実の確認がなされぬまま流され続けた。内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもので、先述の「ドラえもんがいなくなっちゃう! ドラえもんは試しに嘘発見機で調べてみた。 だが、本当にしずかだった。 ドラえもん「ど、どうして入れ替わったの?」 しずか「実は、私 のび太さんを家まで送ろうとしてたの。そしたら…」 ドラえもん「雷が傘に落ちた! ドラえもん最終回「電池切れ説」ファンの2次創作だけど感動した… 作者のコメント①「不幸な終わり方にはしない」 80年代に噂が広まった時、作者の藤本弘(当時は藤子不二雄コンビ解消前)は正式に否定コメントを出しています。 ドラえもん最終回に関する噂が広まった原因は、「作者の入院」ではないかと言われています。たしかに、1986年の夏に作者の藤本氏は入院されています。どんなストーリーなのか、なぜここまで噂が広まったのか、そのあたりを解説していこうと思います。ドラえもんはなにかトラブルに巻き込まれたのかもしれない。ドラえもんは少しドジなところがあるから。道に迷って帰れないのかもしれない。そう思ううちに周囲はどんどん暗くなっていく。しかし、しずかちゃんは「何それ?ドラえもんってなにかしら?」と答える。しずかちゃんも、ママと同じくドラえもんの存在を知らないようだった。のび太は、ジャイアン、スネ夫の家に行くが、答えは同じ。物語は、いつもの日常から始まる。家にはドラえもんがいて、学校にはジャイアン、スネ夫、しずかちゃんがいる。のび太はいつも通り学校に行き、いつものようにジャイアンにいじめられていた。しかし、部屋に帰ってもドラえもんはいない。「どら焼きにでも買いに町に出かけているのだろう」。そう思って、のび太はいつも通り昼寝をしようとする。座布団を丸めて枕代わりにするいつものスタイルだ…。「この噂は本当か」と、ドラえもんが連載されていた小学館に問い合わせが相次ぐ事態となったようです。ジャイアンにいじめられて、いつもドラえもんに助けてもらう。ドラえもんがいなければ、何もできない。のび太は、そんな自分にいら立ちを感じていた。そして、一つの決意を固める。何故か、ママはドラえもんの存在を知らないのだ。ママの言葉の真意が分からないのび太は、「ドラえもんだよ、ドラえもん。いつもいるじゃない。どうしいちゃったの、ママ?」と聞き返す。絶望するのび太の耳に、ある電子音が鳴り響く。暗かった部屋が明るくなる。白いカーテン、白い壁、そして白い天井。のび太は白い部屋にいた。鳴り響いていた電子音は、ある機械から鳴っていた。その機械は、心拍数を計るものであった。© 2020 漫画とアニメ情報局 All rights reserved.ネットが普及していない時代だからこそ、真偽を確かめる方法がなく、噂がどんどんと広がっていったのでしょうね。「のび太植物人間説」は、子どもの噂から始まり都市伝説化。最終的には作者が正式にコメントを発表するほどの事態に陥ることになります。のび太植物人間説をざっくりと説明するとこんな感じですね。かなり切ない内容ですよね。ドラえもんたちは妄想で、のび太は老人。救いがない最終回です。ドラえもんはそんな終わり方をしない、もっと楽しい終わり方にするそして、いつものように泣いて家に帰りドラえもんに助けを求める。誰もが見たいつも通りの日常である。二つ目は、「のび太による作り話」というパターン。実はのび太は心身障害者で、ドラえもんはのび太による作り話というもの。都市伝説化したドラえもんの最終回「のび太植物人間説」には、チェーンメールとして拡散される中で、様々な説に派生していきます。中には、ハッピーエンドとも思えるような結末になっているものもありますね。しかし、それでもママはドラえもんなど知らないという。ドラえもんの存在自体を知らない口ぶりである。ママがそんな嘘をつくはずもなく、嘘をつく意味もない。ドラえもんプロフィール全まとめ【身長、体重、経歴、スペック…】「ママ、ドラえもんはどこにいったの?」。ママに質問するのび太。しかし、ママはのび太の期待とは全く違う言葉を口にする。空き地、学校、商店街など、ドラえもんが行きそうな場所を探して回るのび太。しかし、ドラえもんの姿はない。それどころか、誰一人ドラえもんの存在を知らないのである。陽射しは、一人の老人の身体を照らす。老人は、身動きがとれないまま天井をじっと見つめる。いつもと同じ風景。いつもと同じ恰好で寝転ぶ老人。これからずっと先も、同じ恰好で天井を見つめ続けるのだ…。のび太は、まずしずかちゃんの家に向かった。もしかしたら、ドラえもんはしずかちゃんの家にいるのではないかと考えたのだ。「ドラえもん来てない?」と聞くのび太。ドラえもんの最終回「のび太植物人間説」をご存知でしょうか。1986年から2000年代にかけて流行したドラえもんの都市伝説です。その内容は、目をそむけたくなるほど切ない内容でした…。90年代に入り、「のび太の植物人間説」はチェーンメール化。さらに広がっていきます。実は、私も似たようなチェーンメールを受け取った覚えがあります。当時すでに2000年代に入っていました。噂から20年近くもチェーンメールが出回っていたことになります。その時、病室に一人の女性が入ってくる。「今日はいい天気ですね。カーテンを開けておきますよ。」。白いカーテンがカーテンレールを走る。そして陽射しが部屋の中を一層明るくする。以下では、噂が都市伝説となり拡散されるまでの経緯を解説していきます。しかし、そこにあるのはタイムマシンの入口ではなかった。ただ本が入っているだけであった…。しかし、身体の自由を失ってしまう。それ以降、のび太は植物人間として人生を過ごしてきたのだ。全てを思い出したのび太。ただ、ネットが普及している現代で同じようなことは起こりにくいかもなぁ、とも思います。というのも、ネットで噂の真偽をすぐに確かめることができるからです。最初は間違った情報が拡散されても、公式がコメントを発表するまでの事態にはならない気がします。都市伝説と化したドラえもんの最終回「のび太植物人間説」。繰り返しになりますが、公式の最終回ではありません。あくまで非公式に作られた最終回設定です。ご飯を食べる気にもなれず、部屋で一人で考えていた。「なぜ誰もドラえもんの存在を知らないのか」。みんながドラえもんのことを忘れているのか、それとも自分が幻覚を見ていたのか、もしかすると別世界に来たのではないか…。だから、ネットが普及していない時代にここまで噂が広がることに驚きを覚えました。子どもの噂の拡散力は恐ろしいものがありますね…。三つ目は、「ドラえもんがのび太の代わりに停止」というパターン。植物人間となったのび太に、ドラえもんが全エネルギーを注入。のび太を蘇生する代わりにドラえもんが動かなくなってしまいまうというもの。机の引き出しをひいてみよう。机の引き出しはタイムマシンの入口になっているから、ドラえもんがいたことの証明になる。そう期待して、のび太は机の引き出しをひいてみる。買ったばかりの自転車に乗るのび太。慣れない運転でふらつく自転車。その時、トラックが自転車をはねた。運よく花壇がクッションとなり、一命はとりとめた。いつものポーズでだらけているのび太。いつまでたってもドラえもんは帰ってこない。待つことに疲れたのび太は、いつの間にか眠ってしまう。目が覚めた時、あたりはもう薄暗かった。巷で流れるドラえもん最終回の都市伝説の一つ「のび太植物人間説」。どういう説なのか、ざっくりと紹介しますね。ドラえもんに頼らずに、自分の力だけで生きようと決心するのであった。過去ののび太自身との決別である。のび太は、この決意をドラえもんに伝えようと思った。その時、1階からママの声がした。ママならドラえもんの行方を知っているかもしれない。のび太は、ママにドラえもんがどこに行ったのかを聞くことにした。あまりに切なく悲しい内容。これがドラえもんの最終回とは思いたくないですね。少しずつ状況を理解するのび太。理解するというよりも、思い出していった。もう何年前のことになるだろうか。のび太は幼いころの自分を思い出していた。「のび太植物人間説」は、元々1986年に子どもの間で流行した噂に端を発します。まだスマホもなくネットも普及していなかった時代ですが、かなり大規模な噂となったようです。長期間にわたって拡散されたため、多くの人が知る都市伝説となったようです。のび太は頭が混乱してくる。いてもたってもいられないのび太は、家を飛び出した。それでも、まだドラえもんは帰ってきていない。どら焼きを買いに行ったのであれば、もう帰ってきていないとおかしい。いつもとは違う状況に、のび太は徐々に不安をつのらせる。以下では、主な3つの派生型を紹介します。基本的には同じですが、物語の結末が異なっています。80年代に噂が広まった時、作者の藤本弘(当時は藤子不二雄コンビ解消前)は正式に否定コメントを出しています。事態の大きさを感じますね。上記コメントと一貫するような内容ですね。イチドラえもんファンとしても、ドラえもんの最終回は切なさの残るものではなく、楽しいものであってほしいと思っています。一つ目は「ドラえもんが天国へと連れていく」というパターン。事故にあって、植物人間となってしまったのび太。そんなのび太の前にドラえもんが現れて、どこでもドアでのび太を天国に連れていくというもの。また、このドラえもん最終回について作者の娘が本人に聞いたところ、以下のようにもコメントされています。本記事で紹介してきた都市伝説化したドラえもんの最終回「のび太植物人間説」。最初は子どもの噂から広まったようですね。ネット、SNSが普及した現在では噂が拡散されるのは珍しくありません。気になるのは、なぜここまで流行したのかという点。最初は、子供の噂から広まり、最終的には作者がコメントを出すほどの大きな事態に発展することになりました。のび太が助かるので、ハッピーエンドといえばハッピーエンドかもしれません。ただ、それでも悲しい結末ですよね。のび太自身が「いつも通り」に感じていた。そんな日常の中、のび太はある決心をする。