人生で何かしたいことがある人だったり夢がある人というのは何やら格好がよく見えるようでありまして、逆にそういった人生で自分が何をしたいのかがわからない人というものは随分と辛い境地に追い込まれるというのが今日の流行のようです。 人生は、何かを極める旅ですか? 仮にあなたが鈴木一郎という名前を与えられたとして。地球の日本というフィールドで鈴木一郎としてどう生きていくか?1人のプレーヤーとして生きる。コンテニューなきロールプレイングゲームですよ。 それこそが何かを極めるということだと私は考えます。 そうして数十年という年月を、いわば人生をかけて何かを極めるということは、 とても意味がある生き方で意思の強さが大切になります。 何かに執着すること . 自然と気づけるものです。 それが私にとっては「絵を描く」ということだっただけ。 「得意」「好き」を極めるとこんないいことがおこるかも? 何かを極める . たびたび言われていくことで遅かれ早かれ. 好きを極めるってことは、何かをひたすらに愛するということですね。 超偏った愛、「 偏愛 」ってのはそれだけで価値があります。 価値があるということはそこにビジネスチャンスだってありますし、偏愛には偏愛が集まってくるので、ズバリ、人生の幸福度がアガるってな寸法です。 All rights reserved.そこで、「でも・・・」「だって・・・」ばかり言っていたら変化はありません。お金をいただいて販売するという仕事につながるようになりました。講座をする中で生徒さんとの会話の中でもそれは活かされています。「前を通る人が見ていくんだよ~」と喜んでいただくことができました。店内のカラーにも合うように色合いを考えて描かせていただきました。思い描いたように事が運ばなくて悩んだり、家族の反対を受けたり。夫にとっては当たり前のことなので、感謝の言葉をもらえることはほぼ無し。店頭の右のスペースに目を引く何かをプレゼントしたいなと思いました。そのカフェは「ひつじ食堂」といって、店内はグリーンを基調として大げさかもしれませんが、自分の価値、生きている意味を感じられるようになりさらに言えば、日々「何を描こうかな」「この空の色を描いてみたいな」等と飽きずに続けていくことができ、人へ教えるという立場の講師として

ですが、何度か人から「凄いね!」「上手だよね!」と. さらに掘り下げていくと、 幸せをつかむのは自分! ほんの少しの勇気とわずか100円で人生を変えたNature Artist ~Rin~。 好きなことを好きなだけ、いくつになっても自分らしく生きていくRinの今まで、そしてこれからを絵と共にご紹介。アクセサリーからバック、依頼でオリジナルのエコたわしを作ったり私自身も全くぶれずにここまで来れたかといったらそうではありません。これは、友人がカフェをオープンしたときにプレゼントした絵です。周りの人よりも、より深い知識・技術を持っているということになるので© Copyright 2020 月彩画家の旅. 僕はしょっちゅうあります。多趣味のくせに飽き性なので、あんまりひとつのことに集中できないんですよね。すぐ熱が冷めちゃって。ただ単に上手なものが欲しければプロに頼みますし、低価格でそれなりのクオリティのものが仕上がるならそっちを選ぶでしょう。「イラスト極めたいな」とか、「ギター極めたいな」とか、「文章極めたいな」とかとか。「好きを極める」って何も、お金に直結しなくても、有名になれるようなものでなくても別にいいんですよ。別に「何か」自体はかっこいいものじゃなくてよくて、「極めてる」ってことが純粋にかっこいいんですよ。ってなると、クリエイターは別のところで価値を生み出していかなきゃならなくなるし、そうなってしまうと消費者側も「なんかぜんぶ一緒でつまんねーな」ってなると思うんです。写真を撮るのが下手でも、好きならどんどん発信していいし、これから上手くなってきゃいーんです。とりあえずやってみる(=略してとりてみ)をテーマに「ゆるく賢く生きてゆく」ための情報を発信中。ライフハック、アニメ、ミニマリスト、オカルトのテーマを中心に、ガジェット・日用品全般のレビュー記事や日常の雑感など、幅広く執筆しています。たしかに、「極める」って言ったら、どれかひとつに注力したほうが伸びは速いですよ。「何かを極める」ってのは、決まった中から選ぶのではなく、自分が好きならなんでもいいんですよ。(もし借金で首が回らないとか、兎にも角にも月にあと3万円の余剰資金が必要とか言う場合には、四の五の言ってる暇なんてないので、一刻も早く確実にお金が手に入る手段を検討しましょう)毎日のように新しいコンテンツが出てきて、どんどんおもしろいものが生まれてる時代、もう消費者側も楽じゃないっす(アニヲタの意見「どれだけ上手か」ってことより、「どれだけ好きか」のほうがよっぽど大事なことだと思うんですよ。才能とか、個性とか、センスとかって、その人の性格によるところが大きいので、結局「好き」の延長線上にあるものなんですよ。技術や知識面は続けてれば勝手に上達していくので、あんまり下手だとか、知識がないとかで悩まないほうがいいです。今の時代って、その気になったら素人でもすぐ上手くなっちゃうじゃないですか?というお話を、以下のツイートをしたことがきっかけで思いました。どうやら僕は「金髪キャラ」が心底好きなようです。本当にありがとうございました。どんな流れが来るかってのを正確に予想することは難しいので、お金が欲しいにしろ、有名になりたいにしろ、「自分の好きを極める」ってこと以外にできることってないんじゃないでしょうか。本当は詳しくないのに詳しいフリをしたり、本当は好きじゃないのに好きなフリをしたり、本当は知らないのに知っているフリをしたり。きっと、そんな人でも自分が「これ好きやわぁ」って思えることって、ひとつやふたつぐらいありますよね。それでいいんです。そういうのを、どんどん「発信」していけば、付随した知識も増えていくし、仲間も集まってくるしで、そこに価値が生まれます。多趣味と言えども、他の趣味に比べて「これはちょっと好き!」って趣味がいくつかありますよね。もう何なら趣味じゃなくてもいいですよ。『二次元の金髪美少女が好き』でもいいですし、『なんかよう分からんけど、メガネ男子がマジでツボ』とかでもいいんです。『俺は多趣味を極めてやるぜ!』でもぜんぜんオッケー。B「アニメが好きで好きでたまらない+時間に余裕がなくてアニメをあんまりチェックできない人」たとえば、絵です。Twitterとか見てると、上手な人ってたくさんいるじゃないですか。でも、上手いからってみんながみんなバズってるわけじゃないですよね。「自分ではプレイしないけど、実況プレイで満足できる」とか、「ホラーゲーはダメだけど、実況なら楽しめる」とかね。「好きを極める」って言っても、別にどれかひとつじゃなくてもいいです。複数でも問題ありません。「時間がなくてアニメが観られないけど、どうしても内容を知りたい」みたいな層がちょっとでもいるとすれば、「ただの感想」にも需要があり、そこには価値があるってことなんじゃないでしょうか。そういうニッチなところだけど需要があるってポジションは、これからどんどん増えていくと思います。「すっごい絵が上手いわけではないけれど、その人にしか描けない画風がある」とか、「絵師さんのツイートがめっちゃおもしろい」とかとか。でも、そういう嘘ってすぐ分かるじゃないですか。雰囲気というか、言葉の節々からというか、その人の普段のツイートからなんとなく、とか。文章だって、絵だって、音楽だって、アニメだって、映画だって、ドラマだって、なんだってそうです。なんでもそうだと思うんですが、「何かを極めてる人」ってかっこいいと思います。「じゃあ、そういう飽き性の人や多趣味の人は何かを極めることができないの?」って言うと、そんなことはないです。『何か極めたらかっこいいし、暇しなくていいし、モテそうだし、お金にもなりそうだから』みたいな。『なんでもいいから極めたい!!!!』って思う瞬間、ないですか?価値があるってことは需要があるってことで、需要があるってことはそれをビジネスに転換することだって不可能じゃありません。言い方を変えるなら、「誰でも一定のラインまでは上手になるから、元々そこにあった価値が薄れていく」ってことなんですが。変に賢く生きられてしまう、打算的に人生のゆく末を決められてしまうこんな時代だからこそ、そういう「偏愛」を持った人が輝くのかもしれませんね。中には『何かしたいけど、何をすればいいかわからないよ!!!!』って人もいるんじゃないでしょうか?そういう技術的な部分以外で価値を生み出している成功パターンを最近よく目にする気がします(というより、純粋に絵の技術だけでバズってる人とかってあんまり見かけないような……中途半端で飽き性な自分がイマイチ好きじゃなかったんだけど、ギター弾くと「ギター楽しいな」ってなるし、絵描くと「お絵描き楽しいな」ってなるし、ブログ書くと「文章書くの楽しいな」ってなるから、割と人生を楽しんでる勢に位置してるのかもしれない、と思うと案外多趣味も捨てたもんじゃないね「なんでそれが好きになったのか」とか、「そういうところが好きなのか」とか、「どのぐらい好きなのか」とかね。さっきも言った通り、技術的な面はこれからどんどん上がっていきます。そして、技術と反比例するように価格は下がっていきます。そうしないと、お金にならないから。価値があるということはそこにビジネスチャンスだってありますし、偏愛には偏愛が集まってくるので、ズバリ、人生の幸福度がアガるってな寸法です。Ⓒ円谷プロ Ⓒ2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会, ©ビーノ/KADOKAWA/女子高生の無駄づかい製作委員会, ©2019 サンドロビッチ・ヤバ子,MAAM・小学館/シルバーマンジム, © 篠原健太/集英社・彼方のアストラ製作委員会技術的なところから、魅せ方や自己ブランディング、マーケティング、情報発信まで、すべて家にいながらできちゃうわけですよ。ファッションブランディングでもある程度の価値は生み出せますが、それが上手にできる人って相当レアです。おすすめはしません。そう、「何か」って言ってるくせに、「これは○○だからダメ」「こっちは○○だから極めても意味ない」ってな風に無意識のうちに選んじゃってるんですよね。どれも好きであることには変わりないんですが、ある一定のラインに差し掛かると急に興味が薄れてしまうというか、「ああ、もういっか」ってなっちゃうんです。YouTubeもあるし、無料講座もあるし、ブログもあるし、Yahoo!知恵袋もあるし、Twitterもあるし。わかります。めっちゃわかります。どれかひとつってわけじゃなくて、複数の理由がごちゃ混ぜになってることも多いですよね。でもね、僕みたいな飽き性、もしくは多趣味の人は、どう頑張ってもすぐ飽きるし、他のことに興味が移っちゃうんです。こればっかりは仕方がない。