2018年6月にオープンした「商店街ホテル」は「粋世」に続く補助事業第2号で、正式名称を「商店街HOTEL 講 大津百町」という。事業主は滋賀県竜王町に本拠を置く「木の家専門店 谷口工務店(以下、谷口工務店)」。運営は新潟県南魚沼市の「自遊人」が担っている。17年3月、大津市は「第2期中心市街地活性化基本計画」を引き継ぐ計画として町家活用の「宿場町構想」を発表。同年4月13日、大津市の越直美市長は「大津百町スタジオ」で会見を開き、「宿場町構想」と合わせて「商店街ホテル」のプロジェクトを紹介した。改修設計は無有建築工房(大阪市中央区)、造園は荻野寿也景観設計(大阪府富田林市)に依頼した。外観は出格子や軒庇など伝統的な大津町家の要素を用いてつくり直す。内部はほぼ骨組みの状態にまで解体して耐震補強し、遮音・断熱を徹底することとした。近年の増築部分を解体し、中庭や吹き抜けを復元したものもある。工事費は合計約3億円だ。客室や共用ラウンジの家具・照明には北欧製を使用。フリッツ・ハンセンやフィン・ユールの家具、ルイス・ポールセンの照明などを配している。2018年度に入って「宿場町構想」は本格始動し、5月15日に官民混合の大津宿場町構想実行委員会が発足した。構想は3本柱として「町家空き家活用」「エリア魅力増進・発信」「人材育成」を掲げている。初年度は特に「人材育成」に力点を置き、10月26日〜28日には実行委員会とJR西日本の主催で「リノベーションスクール@大津」を実施した。大津市に実在する空き物件を題材として事業プランを練り上げ、遊休不動産のオーナーに事業を提案。オーナーからの了承が得られれば、ブラッシュアップを重ね、実事業化を目指すというものだ。また、06年度から開催している市民講座「大津まちなか大学」に、12年ぶりの新学部として「大津百町おもてなし学部」を開講した。歴史や建築などの知識を学び、大津の魅力を積極的に発信できる人材を養成する講座である。経済産業省が16年度補正予算による補助金「地域未来投資促進事業費補助金(まちなか集客力向上支援事業)」の第2次募集を始めたのが2017年1月。柴山氏にこの補助金の申請を勧められた谷口工務店は、大津市の支援を得て約1カ月で資料をまとめ、補助金約9000万円の採択を勝ち取った。ホテルの開業を控えた2018年4月20日、谷口工務店はオープニングセレモニーとして大がかりな茶事を開催した。ホテルのお披露目と同時に、地元の工芸品や銘菓を用いて地域文化の紹介につなげる狙いだ。掛け軸は三井寺長吏と大津市長に揮毫を頼み、市内の「中山昌文堂」で表装。茶碗と水指に県内の膳所焼を用い、「中川誠盛堂茶舗」の抹茶、「叶 匠壽庵の茶菓子」を供した。いずれも大津の名店だ。大津市では、2008年から18年まで2期10年の「中心市街地活性化計画」の基本方針のひとつに「大津百町の再生」を挙げ、町家活用や街並み整備に取り組んできた。大津市都市再生課主任(取材時)の橋本剛氏は「中心市街地活性化計画では、町家改修の補助、旧町名の看板掲示、旧東海道の電線地中化などに取り組んできた」と説明する。2017年4月には計画に基づく経済産業省の補助事業として、湖北設計(滋賀県米原市)による町家改修の宿「粋世(いなせ)」が開業している。昭和8年(1933年)建築の米穀商の建物を、当時と同じ材料を使って改修したもので、17年11月に国の登録有形文化財になった。大津市で知名度を上げる方策を求めて、谷口氏がコンサルティングを依頼したのが、雑誌「自遊人」の発行やライフスタイル提案型の宿泊施設「里山十帖」(新潟県南魚沼市)の運営を手掛ける自遊人代表の岩佐十良氏だ。「商店街ホテル」は、岩佐氏が提案した。「これからの時代、企業は地域との共生をブランド価値に結び付けるべきだ。商店街ホテルなら、空き家活用と商店街活性化の一石二鳥が狙える」。「商店街HOTEL 講 大津百町」は4月29日にプレオープン、6月30日に開業した。開業に当たり、運営の自遊人は「ステイファンディング」と名付けた新しい試みを始めている。宿泊客1人1泊あたり150円をプールし、全額を大津市商店街連盟に寄付するというものだ。150円は温泉地の入湯税に相当する金額だ。ホテルではデンマーク製品を多用していることから、茶事の正客にデンマーク大使を招待した。滋賀県知事と大津市長をはじめ、東京滋賀県人会理事、中小企業同友会理事、大津観光協会理事ほか県内の財界人を招き、合計108人が訪れた。翌日には一般向けのホテル見学会を開催、約1000人が詰めかけたという。谷口工務店も、引き続き町家活用を進める計画だ。谷口氏は「空き家を借りて職人の育成や技術披露の場として活用し、大津の町を盛り上げていきたい」と語った。ホテルの宿泊料金は、1人1泊当たり9900円(最安値時)〜6万円(1棟1人宿泊時定価)。稼働率60%を目標に、インフルエンサーによるSNS発信の促進や、口コミサイト・情報サイトへの露出強化による、インバウンド誘致に取り組んでいるそうだ。2018年6月、滋賀県大津市にユニークな「商店街ホテル」が開業した。町家7棟を改修した分散型の宿泊施設で、飲食や物販などで地域経済への波及効果を狙う。事業主は県内の工務店。このプロジェクトなどを契機に⼤津市は「⼤津宿場町構想」を2017年3月に発表、本格始動となった2018年度の施策としてエリアマネジメントや空き町家の再⽣などを担う⼈材の育成に乗り出している。2017年7月に着工したが、いざ壁を剥がすと中の柱が腐っていた、といった事態の繰り返しで、工事はたびたび軌道修正を迫られた。工期は遅れ、2018年3月に入っても1棟は手つかずという状態だったため、谷口氏は県外の工務店にも応援を要請した。富山や新潟、愛知から約50人の大工が駆けつけてくれ、なんとか年度末の完成に漕ぎ着けたそうだ。谷口工務店は町家3棟を合計4600万円で購入、残る4棟は賃借している。7棟合計の床面積は1101.27m2。いずれも江戸末期から昭和初期にかけて建てられた木造2階建てで、商家や長屋など、元々の用途も規模もまちまちだ。空き家だった期間が長く、中には昭和初期の道路拡幅で建物前面が切り取られていたものもあった。谷口工務店が大津市に進出したのは2016年6月のことだ。JR大津駅前にある築100年の町家を借り受けて改修し、支店兼ショールーム「大津百町スタジオ」を開設した。同社代表の谷口弘和氏は、当初の大津の印象を、次のように振り返る。「県庁所在地なのに、琵琶湖対岸の草津市に比べて寂れた雰囲気が漂っていた。商店街に元気がなく、人通りも少ない。しかし、大津は交通至便で歴史的資源も豊か。本来はにぎわう要素があるはずで、そこに関心を抱いた」。大津はかつて、東海道五十三次最大級の宿場町として栄えた歴史を持つ。最盛期の町割りは100を数え、「大津百町(おおつひゃくちょう)」と称された。戦争や災害の被害が少なかったため、今も江戸時代以来の町家が多く残る。その数は、市の調査によれば約1500棟に上るが、うち約1割は空き家になっている。ホテルの7棟は、JR大津駅から徒歩圏のアーケード商店街と旧東海道周辺に点在している。最も規模が大きく駅に近い「近江屋」(延べ面積525.71m2)にフロントがあり、宿泊客はそこでチェックインしておのおのの宿に向かう。7棟中5棟は1棟貸しで、キッチンを備えており、宿泊客が地元で買った食材を自分で調理できる。谷口氏は自らも大工出身で、大手ハウスメーカーの下請けから、昔ながらの“棟梁”の復権を目指して15年前に起業した。「かつての棟梁は、縁の下の力持ちとして、冠婚葬祭などの折に活躍したものだ。地域貢献で得た信頼が、結果的に受注につながればよい」。「ステイファンディング」の狙いについて、岩佐氏は次のように語る。「今、各地のDMO(デスティネーション・マーケティング・オーガニゼーション)は資金に困っている。何より私自身が新潟で経験中だ。ヨーロッパでは宿泊税をDMOの財源にする仕組みが確立しているが、日本では機能していない。本来、目的税であるはずの入湯税は一般財源化してしまっている。大津でステイファンディングを定着させて、ゆくゆくは全国に広げ、新潟に逆輸入したい」。谷口氏は言う。「住宅展示場にモデルハウスを建てても、投資に見合うだけの効果は見込みにくい。ホテルなら、ショールームの役割と同時に収益も期待できる。さらに、伝統木造の改修工事は、大工の技術向上にも役立つ」。物件探しには、地元で長く町家再生に携わってきた柴山建築研究所(大津市)代表で大津町家研究家の柴山直子氏に協力を仰いだ。柴山氏はNPO法人日本民家再生協会の近畿地区事務局を務めており、谷口氏が協会に入会したことをきっかけに知己を得たそうだ。谷口工務店を大津市に橋渡しし、全額自社投資を考えていた谷口氏に補助金申請を勧めたのも柴山氏だ。フロント棟にはコンシェルジュデスクがあり、10時から21時まで、対面または備え付けタブレットを通じて、周辺の観光スポットや店舗などを紹介する。さらに、1日に2回、コンシェルジュのガイドによる「商店街ツアー」を開催。地元商店の協力を得て、利き酒や試食をしながら買い物を楽しんでもらう。参加者の中には、1泊2日で15万円ほども使った人がいたそうだ。