こうした像をめぐる議論は、シャーロッツビルでの抗議集会と衝突の影響としても重要だが、同時に、世界的なトレンドの一部でもある。これに比べれば地味ではあるが、ロンドンには大英帝国時代の軍人や行政官の彫像がたくさんあり、ほとんど議論の対象になっていない。2000年、左派のケン・リビングストン市長(当時)が、トラファルガー広場にあるヘンリー・ハブロック卿とチャールズ・ネピア将軍の彫像を、「誰だか知らないから」という理由で台座から撤去することを進言した。いずれも大英帝国の軍人である。トランプ大統領は、南軍関連のモニュメントを擁護し、白人至上主義に対する非難をなかなか公言しなかったことによって、同志である共和党員を含め、多くの米国民の不評を買った。ドイツからはナチスを象徴する図像が一掃された。多くはドイツを占領した連合軍による明確な命令により終戦までに破壊されたが、連合軍は1946年5月、「既存のナチスに関連する記念碑、記念館、ポスター、彫像、殿堂、街路又は幹線道路の名称標識、エンブレム、銘板又は記章」を1947年1月1日までに破壊しなければならないとの命令を発している。帝国主義的を拡大に貢献した指導者や、現在は人種差別主義者と考えられている人物の彫像は撤去すべきだという主張は明快だ。すなわち、こうした人物に反感ではなく尊敬の念を抱く人々にとって、彼らの彫像は今も心の拠り所になっている。彼らを尊崇する人々は、歴史上の英雄と見なす人物と自分を同一視し、その同一化によって力と自信を得ている、というのだ。リー将軍像を撤去するという決定に対する白人至上主義グループによる抗議は暴力的事件を引き起こし、白人至上主義に対する抗議行動に参加していた女性1人が死亡している。大理石や青銅で造形された彫像は時代を超えた永続的な印象を与えることを意図しているが、今やどこの国でも批判の的になりやすく、議論や異議、苦い集団的記憶の対象になることは避けがたい。イタリアではそうではなかった。通常は古代ローマ帝国と結びつける形でファシズムを礼賛するような建造物や、絵画・フレスコ画・モザイクを含むモニュメントが今も残っている。ハブロック卿は1857年にインドで発生した反乱の鎮圧に貢献したが、このときは少なくともインド人側で少なくとも80万人の命が奪われている。ネピア将軍は、イングランドにおける労働者階級の暴動を鎮圧した後、現パキスタンに当たる地域に赴いて反乱を鎮圧した。リビングストン市長の発言にも関わらず、両者の彫像は今もトラファルガー広場に立っている。同様に、セシル・ローズ像は母校オックスフォードに残っている。*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)テキサス州ダラス、ケンタッキー州レキシントン、フロリダ州ジャクソンビルを含むいくつかの都市の市長は、南軍関連モニュメントを撤去する準備を進めていると発言している。こうした動きの最前線にいるのが、南アフリカの抗議活動家たちである。彼らの「ローズ像を倒せ」キャンペーンは、白人帝国主義者を標的とし、主な攻撃対象だったケープタウン大学キャンパス内のセシル・ジョン・ローズ像を撤去させることに成功した。活動家はこうした方法をきっと馬鹿にするだろう。だがそれは理性に訴えかけ、現在のような、憎悪のエスカレーションになりかねない事態を回避するうえで役に立つ可能性がある。ホワイトハウス補佐官らは報道陣に苦しい胸中を漏らし、共和党の政治家は公然と、そして米軍幹部は陰ながら、トランプ大統領の姿勢を批判している。シャーロッツビル事件に関するトランプ発言に抗議して複数の企業CEOが離脱したことを受けて、大統領は2つの助言組織を解散した。これに対して、これらのモニュメントを破壊すれば、歴史そのものに対する理解が部分的に失われてしまう、という主張がある。ノースカロライナ州ダーラムでは、抗議参加者たちが1世紀前に建立された南軍兵士像に縄をかけ、台座から引きずり倒した。実行者の数名はその後逮捕されている。メリーランド州ボルチモアのキャサリン・ピュー市長は、南軍関連モニュメントを急遽撤去することを命じた。「それが市にとって最善」というのが理由だ。同州当局は18日、奴隷制に有利な判決を下した19世紀の裁判長の彫像を撤去した。だが、これまでの数十年、あるいは数世紀と同じように彫像が建っているだけでは今や不十分だ。モニュメントには説明、議論、反対意見、あるいは「対抗的モニュメント」が添えられるべきである。たとえばスターリン像に対して、偉大な反体制派であるアレクサンドル・ソルジェニーツィン、あるいは痩せこけた矯正労働収容所からの生還者の彫像を対抗させる、といったやり方だ。スマホ用のアプリがあっても、シャーロッツビル事件の影響は抑えられないだろう。このようなアプリは指針であると同時に、妥協でもある。拡張・拡大していけば、批判を浴びている人物が、なぜかつては高く評価されたのかという理解を可能にし、なぜ今は多くの人がそのようには考えていないかという理由も盛り込めるだろう。その場の勢いで撤去される彫像もある。バグダッドのサダム・フセイン像は、2003年にイラク軍が壊滅するなかで引き倒された。モスクワの旧ソ連国家保安委員会(KGB)本部の外にあった創設者フェリックス・ジェルジンスキーの像も、1991年、ソ連崩壊の流れで撤去された。その他の像も、今のところ、多くは批判的な論調の対象として残されている。*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにロイターのコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。別の選択肢もある。テクノロジーの活用だ。映画製作者のデビッド・ピーター・フォックスは、コペンハーゲンを訪れ、子どもたちに童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの彫像を見せた後で、携帯電話を教育機器として利用することを思いついた。このアプリは彫像に近づくと、その歴史的な背景を説明する音声を再生する。このアイデアはベルリン、ロンドン、ヘルシンキ、シカゴ、ニューヨークへと広がっていった。リー将軍やセシル・ローズ以上に手を血で染めてきた歴史の悪役たちも、いまだに名誉ある場所を確保している。旧ソ連の指導者スターリンの彫像は、生地であるゴリ(ジョージア)などにある記念館に飾られている。中国では毛沢東の生まれ故郷・韶山に、約2000万ドル相当とされる純金の毛沢東像が立っている。これほどの金額ではないにせよ、中国国内には何百もの毛沢東像が存在している。大戦同時の独裁者ムッソリーニの生地であるプレダッピオという小さな街では、メインストリートに軒を連ねる店舗でファシスト党の記念品やパンフレットが販売されている。派手に飾り立てられた地下墓地には、かの独裁者の遺体が埋葬されている。ムッソリーニが暮らしていた村には彼の胸像が据えられ、街路ではファシスト党支持のパレードが行き交い、ムッソリーニの墓所を崇めている。この街の首長であるジョルジオ・フラッシネティ氏は、プレダッピオの名誉回復を図る試みとして、ファシズムについて伝説ではなく真実を伝える博物館を建設する資金を募ってきた。[18日 ロイター] - 彫像には生命が宿っている。バージニア州シャーロッツビルに立つ南北戦争時の南軍指導者、ロバート・E・リー将軍の銅像は、特にそうだ。 こうした像をめぐる議論は、シャーロッツビルでの抗議集会と衝突の影響としても重要だが、同時に、世界的なトレンドの一部でもある。 大理石 今日、米国はモニュメントの解体の波に押し流されています。 アメリカの都市では、彫像が次々と解体されている-「人種差別主義」連合の将軍だけでなく、大統領、さらにはクリストファー・コロンブスさえ。 しかし、「像の落下」は新世界から始まったのではありません。 ジェルジンスキーの記念碑 & 像: トリップアドバイザーでジェルジンスキー, モスクワ州の 10 件の記念碑 & 像の口コミや写真を表示します。 『”秘密警察の”、ジェルジンスキーの銅像元通りで復活』[旧ソ連時代、KGB本部前のルビヤンカ広場にそそり立つジェルジンスキーの銅像]旧ソ連共産党の”盾”と言われた『KGB(国家保安委員会)』の基礎は、レーニンの側近と知られるポーランド系ロシア人、フェリックス・ジェルジンスキーが築いた。その功績で巨大銅像(高さ5・75m、重量約11㌧)がフルシチョフ時代の1958年、モスクワ中心部ルビヤンカ広場に面するKGB本部ビル前に建設された。モスクワ市民はKGBの影に怯え、記念写真すら取らず銅像前を立ち去ったという。『銅像は夜間はKGB本部の方に向く』と何時、裏切るか分からない秘密警察の怖さを喝破したアネクドートがはやったほどだ。ソ連崩壊で一旦撤去された”秘密警察の父”、フェリックス・ジェルジンスキーの銅像が元通りにモスクワ中心部に復活する。泣く子も黙るKGB(国家保安委員会)本部をそっくり引き継いだFSB(連邦保安局)前の広場に 二十数年ぶりに姿を現すという。モスクワ市の議会関係者が明らかにしたとノーボスチ通信が10月12日、報じた。再建の予算措置も取られた言う。プーチン大統領は”クレムリンの主”に返り咲くや、着々、警察・軍部中心の”シロビキ体制”を一層、強化している。アンチ社会主義の市民が、たたき壊したはずのジェルジンスキー銅像の復活は、プーチン大統領の強権政治、推進の行方を暗示しているようだ。1991年8月20日、当時のヤナーエフ副大統領を首謀者とする秘密警察・軍部強硬派がクデータを企て失敗した日、モスクワ市民はルビヤンカ広場に集結、ジェルジンスキーの銅像を引き倒した。銅像は何処かへ持ち去られたが、ノーボスチ通信によるとモスクワ市内の保管所で十数年近く秘匿されていたという。ルビヤンカ広場には銅像の台座そのまま残っており、工事はさほど手間、暇がかかりそうにない。ただジェルジンスキー銅像の再建工事着工時期はは明らかではないが、元通りに復元する基本方針には変更はなさそう。合わせて8体の歴史的に由緒ある像が今回、当時のまま復元される計画。既に費用として160万ドルが計上されているという。『今回の決定の背後に、プーチン大統領の意思が働いている』とは反体制派に通じるジャーナリスト。米国が進めたシリア空爆の動きを国際世論をバックに切り返し、このところ自らの路線に自信満々だ。レニングラード大卒後、KGBに直行し海外工作員の経歴を持つプーチン大統領はスパイ人生の呪縛から簡単に抜け出せそうにない。しかしジェルジンスキー銅像の復元か吉と出る凶と出るかはほどなく分かるだろう。