也映子は、どこにでもいそうで、実はかなり異色のキャラクターだと思う。面倒くさい、とよく言われるけど、それは自分中心のうじうじした葛藤じゃなく、他者に対しての強い共感から生じている。感情がすぐに表に出て、思い立ったら相手の都合におかまいなく行動に移す、って、それは鈍感なんじゃなく、むしろ自他の感情に敏感だからこそ、そうせずにはいられない。一方で、他者からきつい言葉をぶつけられても、頑張って耐えて踏みとどまるメンタル・タフネスもある。こんな複雑なキャラクターなかなかいない。也映子が動くことで、理人も幸恵も眞於も、生き生きと動き出し、そこにドラマが生まれる。エレベータのキスシーンもメロドラマのようなわざとらしさは微塵もない。それにしても、このドラマ、先に原作を読んで想像していたより、ずっと内容の深いドラマになったと思う。ただ単に内容やドラマのクオリティーが優れていたというだけじゃなく、これまでになかったドラマの新しいスタイルも切り開いたんじゃないかな。そして、何といっても最高のクライマックスは、エレベーターでの也映子と理人のシーン。一階につく直前にいったん離れて、そして眼鏡がずれたままでの、おかまいなしのキス。ドアが開いて、あわてて平然をとりつくろう二人。誰もいなくて、可笑しくなって、微笑みながら、今度は也映子から理人の手を引いて、愛おしそうに見つめ合いながら顔を寄せていき、ゆっくりと閉まるエレベーターのドア。この後は、第1話からずっと物語の中心にあったバイオリン教室での名シーン。3人の掛け合いのどの言葉も記憶に残る、鮮烈なインパクト。そういう意味で、恋愛ドラマというのは、本質的にファンタジーだと思っているんだけど、このドラマでは、そのテーマでもある「人間愛」、つまり人間ドラマのリアリズム要素がかなり色濃くなっていると思う。でも、ちょっと間違えると、バランスがくずれて、言動が不可解になってしまったり、他のキャラクターとの関係がちぐはぐになってしまったりしそうだけど、その難しいお芝居を、主人公としてドラマの人間関係やプロットを引っ張っていくドライブ感を失わずに、素晴らしく魅力的に、そして、その眼鏡ルックも可愛らしく、見事にやりきった波瑠さんはすごいと思う。話題性や娯楽性で視聴率だけ稼いで、消耗品のように消費されていくドラマばかりの中で、熱烈な視聴者の心にしっかりと何かを残せる、この作品のようなドラマをもっと見たい。(もちろん、波瑠さん主演が一番)もちろん、そんな理屈でどうこうではなく、交互に重なるコミカルなシーンとシリアスなシーンとも相まって、それぞれの要素が違和感なく入り混じり、絶妙に響き合って、実に見ごたえのあるハイブリッドなドラマ。このドラマを世間がまったく評価しないようなら、そんな世間の先行きは非常に暗いと思う。3人での演奏に重なる也映子の希望に満ちた心の声。(それにしても、波瑠さんの声の何という美しさ!)也映子から、この先には行けません、と言われて落ち込む理人の、実家でのコミカルなやり取りも、シリアス展開のつかの間のほのぼのだったり。この間にドラマは展開し、眞於を含めて、行き詰っていた4人の運命が大きく開かれて、まったく新しい世界へと踏み込んで行っている。出来事やストーリーの面白さよりも、登場人物の相互関係や人間心理のダイナミズムを入念に構築したプロットがこのドラマのコア。だけど、視聴率はともかく、SNSでは、この作品の内容とクオリティーを絶賛する声が大多数のようで、少し、ほっとしている気持ちもある。何だか、救われた気分。幸恵役の松下由樹は、もう、さすがの一言。幸恵がいなければ、このドラマの人間ドラマ=リアリズムの要素が完成しない上に、也映子と理人の恋愛パートを支えて、それを後押しし、さらに、視聴者代表(笑)として、演出を盛り上げるという、求められるいくつもの重要な役割を、実に、存在感たっぷり、かつ、のびのび軽やかに、寸分の狂いもない芝居として見せてくれた。実を言うと、若い頃から、松下由樹は、ビジュアル含め結構好きな女優だったんだけど、歳をとってますます魅力的になって、いや、恐れ入った。波瑠さんとの共演もまたどこかで是非期待したい。そうして、このドラマを観た人が、これから少しでも他人に優しくなれたり、立場の異なる人にも深く共感できるようになったり、様々な人との出会いを大切にできるようになったりしたら、これに勝ることはない。前半のクライマックスから、エンディングに向かっても、バイオリン三重奏というより、もう、交響曲の最終楽章のフィナーレのような、幸福感に満ちた彩り華やかなコーダ。いくえみ綾の原作は、どちらかというと軽めのタッチで、ファンタジーの比重が大きいように感じていたんだけど、このドラマはキャラクター設定や心理描写もずっと濃く複雑になってる。眞於の結婚式では、3人だけでなく、眞於を含めた4人という対位法での音色の響きに感動させられる。ドラマの冒頭で、眞於の「G線上のアリア」の演奏に引き込まれて出会った3人が、最後は、その眞於に3人で演奏する「G線上のアリア」で祝福を贈る。何という対比の妙。少なくとも、豊かな感受性があり、他者に共感する力を持っている一定数の人々が、このドラマに強く惹かれているのは、世間の側にとっての救い、ってこと。このドラマ、視聴率は結局いまひとつだったようだけど、もともと自分は、波瑠さんや波瑠さん出演作品が世間でどう思われようが知ったことじゃなく、自分が満足していれば、それでいいと思っているので、気にしてはいない。そして、この魅惑の音楽の終止の最高に明るいアクセント、主題歌「sabotage」の心地よいリズムに乗って、也映子の弾ける笑顔での「好きだからだっ!」にはもうメロメロ。理人と離れて、感情をどこかに置き忘れてしまった也映子のうつろな姿とか、それを放って置けない幸恵の強くきっぱりとした言葉とか、観ていて気持ちがどんどん前のめりに引き込まれていく。あ、言っとくけど、救われたってのは、波瑠さんやこの作品じゃないよ。でも、こういうドラマを成功させるのは、非常に難しいはず。原作が下敷きにあって通奏低音になっているとはいえ、脚本の安達奈緒子は、キャラクター設定や心理描写、プロット構築など、相当の才能だと、感心した。当初、このドラマ、誰が脚本書くかがポイントだと思っていたけど、この人が脚本で本当によかった。これ、ドラマ全体が演奏会、そう、例えば、オペラだったら、幕が下りてからのカーテンコールにスタンディングオベーション。次々と挨拶に出てくるキャラクターたち、也映子の元婚約者から始まって、理人の同級生、小暮家の人々、加瀬家の人々、北河家の人々、庄野、侑人、眞於、そして、幸恵、理人、最後に也映子。手をつなぎながら満面の笑みで恭しく会釈する3人に、割れんばかりに降り注ぐ万雷の拍手と歓声。ああ、それにしても、ドラマが終わって、時間が経つにつれ、也映子も理人も幸恵も、もういないんだ、という気持ちが現実のものになってくるのは、正直、とても寂しく、辛い。その他のキャスティングもすべてほぼ完璧。書きたいことはたくさんあるけど、書ききれない。幸恵の、本当に大事な人とは、ゆるくて優しい世界のその先へ行かなきゃ、じゃなきゃ、深くはつながれない、という言葉に、ずっと封印してきた也映子の気持ちが溢れ出す。理人への切ない思いを必死に言葉にして、発表会の打上げの居酒屋のときのように、子供みたいに泣きじゃくる也映子を見ていると、自分ももう涙が止まらない。いま、しばし、またドラマの余韻に浸っていられたら、と願うばかり。前回(第9話)が神回だっただけに、最終話でさらに盛り上げるってたいへんかも、と思っていたんだけど、予想をはるかに上回る最高の締めくくりになった。今さらゆるい関係になんか戻れない、と言う理人に、半泣きのやけくそ気味に、戻れるよ、バイオリン弾けばいいんだよっ、と答える也映子。ゆるくつながるためのバイオリンになんて意味ない、と言う理人に、あたしはバイオリンが好きだから弾いてるの、違うっ??と、第1話の理人と同じ台詞で返す也映子。一瞬ひるんだ理人が、何もかも吹っ切れたように、真っすぐに也映子を抱きしめ、俺、あなたのためならなんとかするから、全部、という、也映子の不安や自信のなさを思い切り吹き飛ばす、渾身の決め言葉。抱きしめられてびっくりして、助けを求めるように手を伸ばす也映子に、嬉しくてたまらず、うんうんと興奮してうなずくだけの幸恵。喜びで取り乱して動きのおかしくなる庄野(笑)。ここまでの流れ、ドラマの最終回にありがちな駆け足でまとめにいくような感じはまったくない。悠然とした弦楽器の旋律のように、自然な流れそのまま、也映子、理人、幸恵それぞれの心の動きそのままの丁寧な描写。脚本だけでなく、演出も含めて、一切の無駄がない、実に濃密で、繰り返しの視聴にも耐える、また、繰り返し見るだけの価値のある作品になった。まず、冒頭から名シーンの連続。幸恵を迎えに行く北河家のシーン。幸恵の夫・弘章を叱る姑・由実子の台詞からじーんと心に染みてきて、幸恵と対面した弘章の言葉を促すように皆がわざと顔をそむける絶妙な演出とか、娘・多実から優しい笑顔で「おかえり」と言われ、嬉し涙で言葉に詰まってしまう幸恵の、絞り出すような泣き笑いの「ただいま」にこちらも思わず目頭が熱くなる。また、最終話を含め、登場人物のプロット上の心理解釈とかも、いろいろ思うところがあるんだけど、せっかくの素晴らしいドラマ、視聴者それぞれの見方も多義性があってよく、余計な蛇足になりそうなので、このブログももう文章が長すぎるし、やめておく。序盤で見せた、カラオケルームでの3人のコミカルな掛け合い、という主題が再現され、それが以前よりもずっと深いハーモニーの見事な変奏になってる。(バイオリン演奏自体は、カヴァレリア・ルスティカーナの見事なへたっぴさ(笑))あと、眞於役の桜井ユキについても、一言。この作品、原作との最大の違いは、眞於のキャラクターと設定を掘り下げて、そこにファンタジーとリアリズムの融合点を作り出したこと。原作を単に「膨らます」のではなく、「奥行きを広げて深める」ことができたのは、桜井ユキの独特の持ち味としっかりした芝居があってこそ。最初キャスティングが発表になったときは、何故あの原作の眞於に桜井ユキ?と思ったけど、今となっては、納得感しかない。理人役の中川大志は、これまでの役者人生で最大の当たり役、はまり役、出世作になったように思う。原作以上に、理人という、恋愛パート、ファンタジー要素のキー・キャラクターとしての特性を体現することに成功した。彼が自ら言うように、彼でしかこの役はできなかったと思う。前にも書いたけど、「いくえみ男子」という、実はこの世にいるわけない、幻の未確認生物(笑)にして都市伝説(笑)を、リアリズムの世界に引っ張り出して、ひょっとして本当はどこかにいるんじゃないか、と思わせるだけの、芝居の説得力には、この若さにして、うーんと唸らされた。波瑠さんとの掛け合いのコンビネーションも絶品。メイン・キャラクターの3人についても、恋愛ドラマ=ファンタジーを象徴しているのが理人で、人間ドラマ=リアリズムを象徴しているのが幸恵、そして、その双方にかかわって、ファンタジーとリアリズムを媒介しているのが主人公の也映子、ということなんじゃないだろうか。