秋幸には、母と母の前夫のあいだに生まれ、秋幸が子供の頃自殺した異父兄がいた。異父兄の自殺の原因は、母が義父と再婚したことにより棄てられたという思いから自暴自棄になったためである。姉らは大人になった秋幸は異父兄にそっくりだという。「芥川賞受賞作 血の宿命のなかに閉じ込められた若者の、癒せぬ渇望と愛憎。注目の新人の絶唱ともいうべき文学空間!」秋幸は座敷に上がり、妹と姦する。酷いことをして母や父に報復したい。畜生となっても構わない。そういう思いだった。ただ異母妹との交わりの中、昂ぶるにつれ妹への激しい愛しさを感じ始めた。愛しさが募る。そう感じながら頂点に達する時「あの男」の血がいま溢れるのだと秋幸は思った。秋幸には実父がいる。母が、前の夫と死別し今の義父と再婚する間に付き合い秋幸をもうけた実の父である。あくどいことをして人の土地をまきあげて成り上がった、と噂される人物である。実父とはたまに町ですれ違う。秋幸には全てが疎ましい。母や実父には自殺した異父兄、発狂した姉を返せと言いたい。お前たちが犬のようにつがって滅茶苦茶やって、複雑な血縁をつくり、そのツケが子供に来ている。そう思う。ある日、安雄が逆恨みから、光子と実弘の兄、古市を刺殺するという事件が起きる。そしてさらにその事件をきっかけに、姉美恵は寝込み、さらに一時的に発狂してしまう。日常がどんどん崩壊していく。複雑な血縁のしがらみは秋幸には重苦しい。全て削ぎ落としてしまいたい。そう思いながら日々寡黙に土方の現場で働いている。土方の組には、親方である姉の旦那実弘の妹光子の男、安雄が働いている。主人公、秋幸は母と、母が再婚した義父の家に暮らしている。そして母が前夫とのあいだにもうけた異父姉、美恵の旦那、実弘の土方の組で働いている。 中上健次は和歌山県出身で、純文学を中心にエッセイなども多数発表した作家です。彼自身、被差別部落の出身者であると公言しており、実体験を作品に投影させたものが多数あります。1976年には『岬』で第76回芥川賞を受賞し、1992年に46歳という若さで死去しました。

【ホンシェルジュ】 日本における多くの文豪たちの中においても、中上健次ほど複雑な家庭環境で育った人物はそういないでしょう。中上は自らの環境と葛藤を、文学という形で鮮やかに表現した作家です。読んだものの魂を揺さぶる中上健次の作品ベスト5をご紹介します。 『岬 (文春文庫 な 4-1)』(中上健次) のみんなのレビュー・感想ページです(95レビュー)。作品紹介・あらすじ:郷里・紀州を舞台に、逃れがたい血のしがらみに閉じ込められた一人の青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみを鮮烈な文体で描いた芥川賞受賞作。 中上健次は小説家として活躍していた!戦後生まれでは初の快挙とは!? 中上健次のプロフィール 職業:小説家・エッセイスト 生年月日:1946年8月2日 死没:1992年8月12日 出身:和歌山県新宮市 代表作:岬(1976年) 第74回芥川賞受賞 2019年4月、東京大学の入学式祝辞をきっかけに、上野千鶴子さんの言葉が大きな注目を集めました。日本におけるフェミニズムの旗手であり、「おひとりさま」ブームを生み出した存在でもある、上野千鶴子さんのおすすめの著書を4作品紹介します。倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた向田邦子。2019年は向田邦子の生誕90周年に当たります。いまから向田作品を読みたいという方に向けて、向田邦子を知ることができるおすすめの書籍を4冊紹介します。会いたいと書いた私のはがきを握りしめ、中上さんは受付にあらわれた。中上さんにとって、出版社を訪ねるのも編集者に会うのも、初めてであった。私は中上さんを作家と面談するサロンに、ためらわず通した。世間から一方的に「加害者」と「被害者」の関係にされてしまった男女の交流を描いた『流浪の月』で、2020年本屋大賞を受賞した凪良ゆう。世間から置き去りにされてしまった人々の姿を繊細な筆致で描く作家です。今回は、『流浪の月』を含む凪良ゆうのおすすめ作品をご紹介します。中上健次電子全集 第1回 「紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作」は、中上健次の代表作『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』が初めて1巻に収録された贅沢な巻となっています。人気番組を手がけ放送作家としても活躍している百田尚樹。小説家としても、数々のヒット作を生み出してきました。史実や人物の歴史なども徹底して研究されており、とても読み応えのある作品ばかりとなっています。その中から特におすすめの作品をご紹介します。昭和の名作の数々を、ペーパーバック書籍と電子書籍で、同時に同価格で発売・発信するブックレーベル「P+D BOOKS」。大きな反響の中で迎えた2周年を記念し、曽野綾子氏による特別エッセイを公開します。次の日、三鷹駅前の喫茶店「第九」で会い、感想を伝え、作品への手入れを頼んだ。その中で、最も大きな直しは、主人公秋幸と妹と思える女性との性交の場面である。時間の流れに沿って描かれていたものを、時を反転させて、再度体を重ねる情景から書き始めるように提案した。そして、生硬い表現、重複する文章を指摘して、二百枚近い作品を百七十枚までに縮め、全文を書き改めるよう求めた。慶應義塾大学文学部在学中から作品を発表。彼の小説は次々と大衆の人気を得て、映画化もされ一躍人気作家となっていきます。直木賞・芥川賞の選考委員となり、文学界でも長く活躍をすることとなった小島。今回はそんな小島政二郎のオススメ作品をご紹介します。この作業で、秋幸が血族のしがらみから心を解き放たれるとき、路地に立つ一本の樹を描写すること。しかも根元から視線をあげて、枝葉から空へと放つこと。駅裏に住む姉の感情が昂ぶり、取り乱す情景には、機関車の地響きや轟音を効果として使うこと。そして、これは芥川賞選考会で、吉行淳之介さんと安岡章太郎さんの評価が分かれたところだが、岬の突端を男根の形に描写し、海に突き刺すように提案したのだった。これを若者らしくていいというのが吉行さん。あざといというのが安岡さんだった。中上健次さんと初めて会ったのは、私が文藝春秋に入社した昭和42(1967)年の秋であった。所属する文藝誌「文學界」編集部で、翌年一月号から詩の欄を設ける企画が通り、執筆の依頼であった。投稿誌の「文藝首都」に発表する中上さんの詩やエッセイに、粗削りながら、若者らしい力と新しさを感じていたからである。一行の文章も手にしていないのだが、私は感じたままを言葉にした。言ったからには、そうしてみせる、と心に決めたのだった。1944年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、1967年、文藝春秋に入社。「文學界」「別册文藝春秋」「文藝春秋」「週刊文春」「オール讀物」の各編集部、また出版部部員を経て、「別册文藝春秋」編集長、「文春文庫」部長、「私たちが生きた20世紀」特別編集長、「文藝春秋臨時増刊」特別版編集長を平成17(2005)年3月まで務める。その間、日本文学振興会理事、事務局長として芥川賞、直木賞などの運営にあたる。同17年の4月より松江観光協会に観光文化プロデューサーとして赴任。文化観光による松江の魅力を国の内外に発信している。著書に『編集者魂』『作家魂に触れた』『百册百話』『芥川賞・直木賞をとる! あなたも作家になれる』等。松江市在住。六年ぶりに、私は「文學界」編集部に戻った。中上さんは「文藝」に発表した『十九歳の地図』が芥川賞の候補作品になり、「季刊藝術」や「すばる」からも注文を受ける注目の作家になっていた。私は、魚河岸でフォークリフトの運転手をつとめる中上さんを新宿の喫茶店で待った。私はその日、「思い切ったことをしてみませんか」と言った。中上健次の貴重なスナップ写真や、生原稿等の資料は勿論、「紀州熊野サーガ」作品群を読み進めるのに参考となる「作中登場人物家系図」といった特別付録に加え、長女・中上紀氏が寄稿した回想録「家族の道端」第1回も収録され、中上文学ファン垂涎の構成となっております。一年待った。昭和50(1975)年7月7日の夕方、新宿駅ビル内の喫茶店「プチモンド」で、『岬』を受け取った。中上さんは作品の仕上げに体力を消耗させ、痩せて別人のようだった。Facebookページへいいね、Twitterをフォローすることで、P+D MAGAZINEの最新記事をSNSでお届けします。中上さんは昭和文学の幕引きをし、平成の文学を開いた。編集者として、私は中上さんとの将来の夢をえがいた。ほぼ十年ごとに仕事をした。『岬』を書いていただいたのは、出会いから八年後、その十年後に『火まつり』、そして『讃歌』。次の十年後を楽しみにしていたのだが、癌を患い、見果てぬ夢となった。中上健次と島田雅彦氏は、1980年代の”空気”を共有した作家同士でした。早世した中上健次が、もし今の時代にいて語りたかったことがあるとしたら…? “同時代の空気”を共有した島田氏の作品の中に、それを垣間見ることができるのかも知れません。島田雅彦氏が熱く語ります。『どくとるマンボウ』シリーズのようなエッセイを代表作に持ち芥川賞や大佛次郎賞を受賞するほどの優れた作家、北杜夫の作品をご紹介します。平成4(1992)年3月3日。東京信濃町の慶応病院に中上さんを見舞った。この日こそ、中上さんが生涯で最も好きだった兄が、庭の木に綱をかけ、首をつった日なのだ。死の理由を究め、生と死を思う、これが作家中上健次の原点である。私は「そうでしょ」と答えてから、安岡さんと中上健次を語り合ったのだった。中上さんに掲載号を渡すときのことだ。「これからどうする?」「小説を書きたい」「読むから書いたら持ってきて」。そのようなやり取りをした。私は社の人事異動により、「文藝春秋」や「週刊文春」の編集部に移ったが、中上さんが持ち込む原稿を読み続けた。中上さんは、予備校生と言ったが、その頃は、学校に行かず、「フーテン」をしていた。後に、「一清さんが声をかけてくれなかったら、あの連続殺人事件を犯した永山則夫のようになっていた」ともらしたことがある。境遇が似ているとも言っていた。二人は、新宿の同じ喫茶店でたむろしていたのだった。「この世界は公平、作品がすべて」と言ったときから、中上さんは一層深く私を慕うようになった。三つ違いの兄弟のようだった。この頃に読み、注文を受け入れてくれた作品に、後に「早稲田文学」に載った『灰色のコカコーラ』もあった。また、昭和45(1970)年7月には、かすみさんとの結婚披露宴にも招かれた。一週間後、『岬』の第二稿を手にした。急ぎ印刷所に運んだ。中二日して組みあがると、校正者に回さず、ゲラは私自身が朱を入れ、気付いた個所を控えゲラに書き入れ中上さんに渡した。中上さんは直ちに手入れする。私はそれを本ゲラに書き取り、印刷所に回す。これを、三度、四度と繰り返した。この日が、中上さんとの別れとなった。五ヶ月後の8月12日、中上さんは故郷の紀州で四十六歳で命を閉じた。当時、私は「別册文藝春秋」の編集をしていた。親しい水上勉さんが綴った追悼文を誌上に掲げ、それに添え、中上さんが中学生のとき校友会の会報に書いた『帽子』という作品を載せた。フランスの小説家、マルキ・ド・サド作品の翻訳や幻想的な小説・エッセイで知られる澁澤龍彦。生誕90周年を迎え、注目を集めている澁澤龍彦の生涯や他の文豪との関わりを紹介します。詩人、芸術評論家、翻訳家と多才な顔をもち「近代詩の父」と称される19世紀フランスの詩人ボードレール。数多の芸術家や作家たちに影響を与えつづけるボードレールのすごさを知ることのできる代表的作品を紹介します。「いま『帽子』を読んだよ。いいものを載せたなあ」と言った後、「中上のことでは、いろいろ言ったけど、やはり才能があったんだ」『岬』は昭和50年10月号「文學界」に載り、翌年一月に行われた第七十四回芥川賞選考会で、受賞が決まった。その夜、新橋の第一ホテルの記者会見場に現れた中上さんは泥酔していたが、私の姿を見つけると駆け寄ってきた。私の胸に顔を当て、ひとしきり泣きじゃくった後、小さな声で、「一清さんが、初めて俺を人間あつかいしてくれた」と言った。第1回は、元文藝春秋の編集者として、第74回芥川賞受賞作『岬』を担当した高橋一清氏が、中上との思い出を熱く語ります。翌八日、立花隆さんが「田中角栄研究」を書いた部屋が空いているのを幸い、朝から籠って『岬』を読み始めた。梅雨の蒸し暑い日であったが、読むうちに冷たいものが背を流れ、鳥肌が立った。「すごい! これはいける」と幾度も呟いた。壁に貼られた田中角栄の人間関係図と同様に、手もとの『岬』の登場人物関係図には、何本もの線が交錯していた。多くのクリエーターに多大な影響を与えた”伝説の作家“中上健次に縁のある人々が、電子全集発刊に寄せて、中上との思い出、エピソード、また中上文学への思い等を語っていきます。小説家として、数多くの作品を発表し、多くの読者を魅了した作家・辻邦生。元文藝春秋の文芸担当編集者、高橋一清氏が、『辻邦生』との思い出を語ります。「中上さんは、必ず大物になります。十年後、二十年後を見ててください」音楽プロデューサーとして活躍する一方、さまざまなアーティストの歌詞を手がける作詞家、いしわたり淳治さん。およそ10年ぶりに発表された書籍『次の突き当たりをまっすぐ』に関するお話や、歌詞を創作される際の裏話をお聞きしました。「担当編集者だけが知っている中上健次」の3回目。当時、雑誌「新潮」で中上健次を担当していた元新潮社の鈴木力氏が、『日輪の翼』誕生までの秘話を語ります。『岬』は、九回の手入れがなされ、今日の姿になっている。この作品で、中上さんに芥川賞を獲らせたかった。私は知る限りの小説の方法を中上さんに示した。中上健次に強く影響を受けた作家・佐藤友哉が語る、『灰色のコカコーラ』。純文学に導かれたきっかけが、中上健次だったという彼。「中上文学」への愛に満ちた視点で、その神髄を語ります。全国の書店で売り上げランキング上位となり人気の作品となった『コーヒーが冷めないうちに』。著者の川口俊和とはどんな人なのでしょうか?著者の素顔、人気の理由に迫ります。2017年1月の書籍化直後、大反響を呼んだ私小説『夫のちんぽが入らない』。発表から半年経って、著者のこだまさんのもとにはどんな反響や感想が寄せられ、また、ご自身にはどんな変化があったのでしょうか。主婦/ブロガーである著者、こだまさんにお聞きしました。袖口のほころびたセーター姿の若者を、サロンに入れたことは、問題になった。上司から、サロンは若者のたまり場ではないとの注意である。私は、詩を依頼したことを告げ、このとき初めて上司に言い返した。2019年1月1日に、生誕100周年を迎えたJ.D.サリンジャー。『ライ麦畑でつかまえて』が世界中でベストセラーとなるも、隠遁生活を経て、表舞台から姿を消したサリンジャーとはどのような人物だったのでしょうか。2019年1月18日公開の映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』特別試写会の模様も合わせてご紹介します。見本誌が執筆者や文壇関係者に届けられた日、安岡さんから電話が入った。

中上健次は性行為の描写をしても、性行為や殺人それ自体を描く事に意味があるとは信じていない。それらをより俯瞰的に、自然の中に埋め込むように見ている。この透徹とした認識が中上健次の良さだと …

芥川龍之介賞受賞作『岬』の続編にあたる。 また本作の続編として『枯木灘』『地の果て 至上の時』が書かれており、三部作を構成する。 Amazonで中上 健次の岬 (文春文庫 な 4-1)。アマゾンならポイント還元本が多数。中上 健次作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また岬 (文春文庫 な 4-1)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。