22日未明、岡山県高梁市で地中に埋められた行方不明の男性の遺体が発見された。男性は妹さんによって捜索願が出されており、発見時には死後数日は経っているものと思われた。 コナンでも長野県はよく舞台になっていて、登場回数は約6回。群馬県との境あたりで起こる事件もありました。その中でもガッツリ長野県が登場する回があります。 コナン86巻〜87巻。川中島殺人事件、です。表紙にもガッツリ使われています。これはめぐるしかない! 八幡原史跡公園から徒歩7分ほどの場所にある信州そば蔵長野店。この辺にあるらしい「胴合(どあい)橋」を探します。※今回川中島殺人事件モデル地めぐりのため、名探偵コナン第86巻の画像を一部引用しています(引用元:少年サンデーコミックス「名探偵コナン(86)」。コナンでも長野県はよく舞台になっていて、登場回数は約6回。群馬県との境あたりで起こる事件もありました。その中でもガッツリ長野県が登場する回があります。「信州のスキマを好きで埋める」をキャッチコピーに長野県のちょっとニッチな観光スポット情報をお届けするローカルWEBメディアです。八幡社を出てすぐ、史跡公園の南側になにやらあやしげな丘を発見。さあ、そんな由衣刑事の「山本勘助めぐり」も終盤。コナン一行は千曲川を見に、この先の松代大橋へ!このあたりは、赤川と呼ばれています。ちょっとこの名前覚えておいてください!(歴史詳しい方はご存知かと思いますが!)[amazonjs asin=”4091258174″ locale=”JP” title=”名探偵コナン (86) (少年サンデーコミックス)”]さらにおじいさん「ガイド資料もあるから持って行って!」と。ありがたく頂戴しました。山本勘助と言えば、コナンでは「大和勘助」警部のモデルとしてもおなじみ。作中でもよくいじられています。しかしこの辺、歩くと結構かかります。コナン君たち、由衣刑事にかなり連れまわされたと見えます。降りてみると、小さな舟を発見!な、なんか良い。橋の下に舟が隠されていたなんて。最後にやってきたのは山本勘助が討ち死にしたと言われている「勘助宮」。ここも離れているので車で移動しました。先ほどいた赤川周辺とは少し離れているので車で移動します。山本勘助の墓は、廃駅になった金井山駅の近く、更埴橋の見える河川敷にありました。とは言えなんとなくお墓を撮るのは気が引けたのでコナンから引用。だいたいそのままでした。建御名方を奉る諏訪社で戦死したことから、地元の者たちが「勘助宮」と呼ぶようになりました。その後東福寺神社と合祀され、勘助宮跡地は東福寺小学校と中学校の校庭として使用されることになったとのこと。長野市民にはおなじみ?の南長野運動公園、南西の一角にありました。その合戦以来、その川を赤川、その神社を赤川神社と呼ぶようになったそうですよ!駐車場などなくどうしようか考えていると、お墓の隣で畑を耕していたおじいさんがご厚意で駐車させてくれました。やはりファンは多いのか、対応も慣れた様子。川中島の合戦は死者8千人余りと言われる壮絶な戦で、これは浅井洌氏が神社の前を流れる川が討ち死にした兵の血で二日三晩赤く染まった言い伝えを鎮魂を込めて詠んだ詞。誰しも「名探偵コナンに出会う瞬間」があります。あなたの「ファーストコナン」はどこから?まだ知らない方は、今日がその日かもしれません。八幡社のある八幡原史跡公園は、地元民のお花見スポットとしても人気のスポットです。皆さんご存知、とか言ってじわじわ「定番スポット」扱いするのがわたしの作戦。武田勢は6,000人以上にのぼる戦死者を敵味方問わずここに手厚く弔いました。これに感動した上杉謙信はこの恩に報いるため、塩不足に悩む武田氏へ塩を送ったのだとか。「敵に塩を送る」とはこのエピソードから生まれた言葉です。こちらが赤川神社跡。今は歌碑と御由緒の石碑があります。近くには千曲川の支流となる小さな川が流れていました。ちょっと描写が違いますが、同じアングルから。死体を発見した一行は、死体を引き上げて警察を呼びます。まあ、長野県警の刑事さんたちと一緒にいたんですけどね!うろうろしていると、そば蔵入口手前に看板を発見。日替わりランチの奥!街灯や橋の模様までしっかり一致。背景には松代ロイヤルホテルも映っているような、いないような。胴合橋は、戦死した山本勘助の首と胴を家来が合わせたとされる場所。赤川と言えば、先ほどそんな名前の信号がありました。そしてその手前にある細い小道を入ると、赤川神社跡があります。ところでコナン片手に冬の長野県をうろうろしていたら、手が真っ赤っかに。しかし目的を果たすまでは帰れません。八幡社を出て、いざコナン旅!八幡社を出て長野インター方面に歩きます。他にもいくつか丘が見えるけど、この辺一帯が首塚になっているのかな?写真か?ってくらいそのまま。ちなみにこの社殿、元は生島足島神社に鎮座していたものを八幡社が譲り受けました。パトカーが停まっています。松代方面から来たようですが、ここに停めるとおそらく橋は片側封鎖された感じになります。もう少し路肩に停めましょう!もういっちょ!六文銭の入ったここ、名前が入っている部分(名称不明)。ちなみに胴合橋の手前、ガラス張りになったレストランがあります。写真を撮っている最中、ランチ中の方々からの視線が痛かった。どうやら討ち死にしたと言われているのはここよりさらに北東約100mほどにあるようです。全体像はこんな感じ。写真のようにぴったり一致する場所と、そうでない部分がありました。お隣で畑仕事中のおじいさんに聞いてみたところ、撮影も掲載もオッケーをいただきました。はい、そのまま。後ろの安在所(屋根付きの休憩所)まで一致しています。赤川神社の創建は、718年。もともと諏訪大社と同じく建御名方を御祭神としていました。車があれば2,3時間でめぐれるコースなのでよければ皆さんもトライしてみてくださいね!スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。 ゾディアック事件とは ゾディアック事件をご存知でしょうか。 ゾディアック事件とは、1968年から1974年の米国・サンフランシスコで起きた連続殺人事件です。警察で確認できただけでも5人の被害者が出ました。現在も犯人は不明のままで、事件は未解決です。 《占星術殺人事件》(日語: 占星術殺人事件 ,英語: The Tokyo Zodiac Murders ),或譯作占星術殺人魔法,是日本推理作家島田莊司的推理小說,為其筆下的偵探御手洗潔系列第一冊(但並非御手洗潔系列時間點最早的一本)。